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左翼の人物と事件(幸徳秋水氏・堺敏彦氏) 

2019年12月29日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



幸徳秋水氏

 ☆日本の社会主義運動、無政府主義運動者
 *近代日本では、幸徳氏をおいて他にない
 ☆彼が死刑に処せられた「大逆事件」
 *日本の国家権力と左翼運動の対立関係を予見させる出来事だった
 ☆大逆事件は、明治天皇を爆弾で晴殺しようとした計画が発覚したもの

具体性なき爆殺計画
 ☆裁判は審理らしい審理もなく、強引な決着は大逆罪」の規定によるものだった
 ☆大逆罪
 *天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子に危害を加えようと計画したら死刑規定
 ☆天皇を中心とした国家体制維持のため、幸徳氏以下12人を死刑に処すという決着
 ☆この事件の裁きが不当であったと、疑問をを投げかける研究者は多い
 ☆幸徳氏は見せじめ的に死刑になったという理解が一般的になっている
『萬朝報』から『平民新聞』ヘ
 ☆大逆事件に巻き込まれるまで
 *幸徳氏は新聞記者として精力的に言論活動に取り組んでいた
 ☆幸徳氏『萬朝報』紙面において、非戦論を訴えた
 ☆左翼の源流である幸徳と反戦思想は、切っても切り離せない
 ☆幸徳氏は非戦論を主張できなくなった『萬朝報』を去る
 ☆『平民新聞』を創刊し、言論の場を自ら確保した
 ☆そして非戦論や韓国併合反対を訴え続けた
 ☆言論人としての幸徳氏
 *議会制による段階的な社会主義革命を支持していた
 *渡米後、無政府主義思想を強めていった
 *無政府主義はマルクス主義に敗北していく
 ☆幸徳秋水氏は死刑判決を受けた法廷で
 *「無政府党万歳!」と叫んだ
 ☆左翼の原点と称される彼の誇りが、この叫びを生んだ

堺敏彦氏

 ☆堺氏は幸徳とともに「平民社」を設立し、『平民新聞』を発行する
 ☆ここで反戦・平和運動の原点ともいうべき非戦論を展開していく
 ☆日本の左翼にとって、反戦、平和のスローガンが定番
 *この時期の活動家による影響が大きい

赤旗事件という分岐点
 ☆社会主義者、無政府主義者たちは、一枚岩だったわけではない
 ☆現代の左翼陣営にも通じる内部対立、分裂の図式は当時からすでにあった
 ☆「赤旗事件」は、左翼活動家たちのスタンスの違いが浮き彫りになる事件だった
 *赤旗事件は、集会帰りの社会主義活動家たちと警察官が小競り合いになった事件
 *一人の巡査がだれかの持っている赤旗を無理やり取りあげようとしていた
 *多くの男女はそれを取られまいとして争っていた
 *堺氏は制上に飛び回ったが、結局、検挙される
融和的な社会主義活動家
 ☆堺氏が無政府主義者ではなく社会主義者
 *何度も入獄はしているが、堺氏は融和的な社会主義活動家
 *極左的なラディヵリズムとは縁遠いキャラクターだといえる
 ☆堺氏のバランス感覚
 *無産政党の組織への尽力と、選挙への出馬というかたちで表れている
 *東京市議会議員にトップ当選して政治家となった
 ☆晩年は苦しい日々が続いた
 *脳出血で倒れてからの堺氏は、狂気じみた状態に陥った
 *混乱して暴れることもあり、かつての冷静な人格は見る影もなかった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本の右翼と左翼がわかる本』












左翼の人物と事件(幸徳秋水氏・堺敏彦氏)
(『日本の右翼と左翼がわかる本』記事より画像引用)

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