人間だもの。。

鎮魂歌1941年12月8日未明 

2019年12月08日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

パール・ハーバー 真珠湾に日本海軍が奇襲攻撃

真珠のような綺麗な海で

日本は世界を相手にする戦争が始まった。

   真珠湾攻撃

https://www.youtube.com/watch?v=Cz4BC4s1SDM&t=89s



そして、我が父

当時の若者の多くがそうだったように

学業半ばで海軍に志願

海軍予備士官となり、戦闘機にのり

乗っていた航空機が被弾し火を噴き

父の背中は、全面ケロイド,その傷跡は終生消えなかった。

昭和20年春、特別攻撃隊として訓練

明日は特攻で死ぬ予定の8月15日終戦

多くの仲間、先輩、部下が敵軍艦に

体当たり攻撃で亡くなった

しかし、自分は生き残ってしまった。

いつも、眼光鋭く、正面を見据え、

背筋をすっと伸ばし生きてきた父

涙など見せたことがない父

その父が、終戦記念日の式典を見てて

あの厳格な父が大粒の涙をとめどなく流していた。

https://www.youtube.com/watch〜v=Cz4BC4s1SDM&feature=emb_title


あの戦争の政治的、歴史的判断の是非とは別に

戦争そのものの是非とは別に

戦争開始時は、開戦に狂喜した日本人

戦争末期の空襲や悲惨な体験は、

ずっと語り継がれている日本人




その開戦に狂喜した日本人

戦争末期の空襲や悲惨な体験を語り継ぐ日本人

その両面の精神構造、

国民性をしっかり受け止めなければいけないと思う。

あの壮絶な時代を生きた日本人は身近にいた

その人たちのその当時の思想、行動、

その意味を受け止めなければいけないと思う。



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