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歴史散策「兵器を運んだ甲武鉄道飯田町駅」レポート? 

2019年10月24日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



座学で説明したパネルをアップします。








四ッ谷トンネルにつけられた兜のレリーフ




御所トンネル(トンネル入口のプレートは「旧御所トンネル」)
東京メトロ丸ノ内線四ッ谷駅荻窪行き1番線プラットホームの最先端が最適の撮影ポイントです。JR総武線下りの運転席後からもよく見えます。
総武線上り線と中央快速上下線のトンネルはコンクリート造りです。



絵はがき(バックに赤坂離宮が、手前の水面は真田堀)


JR信濃町駅から千駄ヶ谷駅に向かって左側に「青山軍用停車場」が造られました。





青山練兵場で明治天皇の葬儀が行われた後は、明治神宮外苑となりましたので、輜重兵大隊の跡地は慶應義塾大学附属病院となりました。
病院駐車場入口と創価学会民音文化センターとの境界に「陸軍省所轄地」の境界石があります。


輜重兵大隊と兵器倉庫から軍用停車場へ三本の跨線橋がありましたが、現存しているのは「大番町陸橋」のみで、「輜重兵営陸橋」と「輜重庫門前陸橋」は壊されて、土台コンクリートだけが見えます。









2012年11月日本スポーツ振興センター(JSC)は「新国立競技場基本構想デザイン」競技審査委員会で「作品番号17番ザハ・ハデイドアーキテクト」を最優秀作品に決定しました。
なんと!このデザインは「大番町陸橋」に二本の歩行者用キールアーチがありました。

アーチ部分拡大図


ところが、翌年1月の「2020五輪招致ファイル」のデザインからキールアーチが消えていました。



JSCと文科省にデザイン変更について情報公開請求をしてきましたが「ザハとの国際メールも文書も存在しない」と不開示となりました。
この背景には、2005年に週刊金曜日が暴露した電通の「外苑開発企画提案」に見られるような、ドロドロした利権構造が背景があるように感じています。当ブログ記事カテゴリー「東京五輪・新国立競技場問題」をご参照下さい。





(続く)

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