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英雄の知られざる壮絶な最期1 

2019年10月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



英雄の知られざる壮絶な最期1

 ☆二転三転するナポレオンの死因
 ☆少年王ツタンカーメンをめぐる不可解な死因
 ☆発掘関係者の”怪死”は、ファラオの呪い

二転三転するナポレオンの死因
 ☆胃がん説の根拠
 *ナポレオンの急激な体重減少にある
 *肖像画のナボレオンは片手を上着の胸に差し込んでいる
 *胃の痛みがあり、無意識に取っていたポーズ
 ☆毒殺説
 *毛髪鑑定の結果、通常の40倍もの砒素が検出された
 *食物を通して体内から砒素を摂取した可能性が高い
 ☆ナポレオン毒殺されたのなら、誰が殺したのか
 *ナポレオンは、セントヘレナ島に流された
 *イギリス軍がナポレオンの毒殺を企てたとは考えにくい
 (毒殺するなら、流刑などせずに、死刑にしていたはず)
 ☆毒殺した人は誰
 *セントヘレナ島で五年間もナポレオンと暮らした、友人の将軍
 *将軍は、愛妻に宛てた手紙で、ナポレオンに砒素を盛ってると記載している
 *結果、治療と称して、パリに戻る計画を立てたようだ
 ☆ナポレオンの従者だった将軍
 *望郷の念に耐えきれず、ナポレオンに毒を盛ったのだろうか
 *ナポレオンは、将軍の妻を寝取った
 *将軍は、ナポレオンを恨む気持ちがあったのかもしれない
 ☆毒殺説に真実味が出てくる
少年王ツタンカーメンをめぐる不可解な死因
 ☆ツタンカーメンは暗殺されたとの説
 *背後に忍び寄った暗殺者に頭を殴られて死亡したと考えられる
 (後のレントゲン像より)
 ☆事故死、戦死の可能性
 *胸部のレントゲン撮影では、胸骨と肋骨の前部がなかった
 *馬車から転落したか、敵にやられたかで、胸骨と肋骨が損傷した
 *遺体をミイラにするときに取り除いたのでは
 ☆伝染病などによる病死の可能性
 *負傷し悪性の感染症にかかって死亡した
 ☆CTスキャンによる調査結果
 *頭を殴られて死亡したという説は否定された
 ☆現在でも、ツタンカーメンの死因は不明のまま
発掘関係者の”怪死”は、ファラオの呪い
 ☆ツタンカーメン墓の発掘者は、カーリウータ卿より資金提供を受けていた
 ☆発掘の翌年カーナヴオン卿が急死してた
 *死因は「フアラオの呪い」だとして世界中に広まった
 *カーナヴオン卿の妻や義弟、妻の母親が次々に変死し、不幸が続いた
 ☆カーナヴオン卿以外にも、ツタンカーメン王のミイラに触れた者等
 *30人以上が、不可解な死を遂げた
 *「フアラオの呪い」味を帯びて語られた
 ☆墓を発掘した張本人
 *呪われることなく64歳まで生きている
 *本来なら、真っ先に発掘者に振りかかるのでは
 ☆発掘者は、自分の死と同じ以上に、つらい出来事を経験していた
 *ツタンカーメンの墓に入ったときに、可愛がっていたカナリアが毒蛇に噛み殺された
 *愛娘がノイローゼになって自殺した
 *ツタンカーメンの遺品をパリで展示を企画した
 (古代文化局長が、交通事故で死亡、後任者もも原因不明の変死)
 ☆こうした出来事は偶然だとする意見もある
 ☆本当に「ファラオの呪い」はあったのでは
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『世界史の謎がおもしろいほどわかる本』










英雄の知られざる壮絶な最期1
(ネットより画像引用)

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