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《旭日旗問題その四》「日本陸海軍事典」から「軍旗・軍旗祭」と「軍艦旗」を転載 

2019年09月15日 外部ブログ記事
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新人物往来社刊「日本陸海軍事典」から「軍旗・軍旗祭」と「軍艦旗」を転載したい。

(アジア資料センター「明治三年五月十五日・陸軍国旗章並諸旗章及兵部省挑灯幕等ノ図式ヲ示シ府藩県ヲシテ之ニ擬似スル者ヲ止ム」より)
軍旗・軍旗祭
 もともと軍旗は軍隊や主将のシンボルの総称だが、日本陸軍では歩兵連隊旗・騎兵連隊旗を指す。軍旗のある所が連隊長や連隊本部のいる所だが、日本軍の最高指揮官は天皇であるため、軍旗が、その代わりとなり、最高の礼をもって過せられた。軍旗親授の第一号は、歩兵が一八七四年(明治七)一二月二日に近衛第一、第二連隊に授けられたのが最初で、正式に法に定められる一一カ月前、騎兵連隊旗の初めは、はるかあとの日清戦争後のことであった。
 軍旗の親授は宮中で行われ、天皇から手渡しされる時、「歩兵第◯連隊編成成ルヲ告グ ヨツテ今軍旗一旗ヲ授ク。ナンジ軍人等協力同心シテ、マスマス威武ヲ宣揚シ以テ国家ヲ保護セヨ」の勅語があり、新連隊長が「ウヤマイテ明勅ヲ奉ズ 臣等死力ヲツクシ 誓ッテ国家ヲ保護セン」と答えるのが定形だった。
 この軍旗親授の日が、連隊の創立記念日であり、「軍旗祭」として一日祝う。旗のデザインは歩兵が一メートル八〇センチの横長、騎兵が六〇センチ四方の正方形で、白羽二重地に一六条の光線を放つ真紅の旭日を描き、三辺が紫房で縁取られ、これを掲げる千段巻きの竿の頭には黄金の菊御紋章が輝いている派手やかなものであった。
 軍旗は連隊と運命をともにし、終戦の時は奉焼されたが、わずかに占領軍の目から隠し技いた歩兵第三二一連隊旗だけが靖国神社に飾られている。

軍艦旗
 海軍の艦艇であることを表し、その所属国を明らかにし、国家の主権と名誉を象徴するため、海軍艦艇に掲げる専用の旗。
 わが国では、幕府時代から日章旗が国旗と同じに軍艦旗にもなり、時には白地黒丸の中黒旗も軍艦の旗に使われていたが、一八九〇年(明治二三)一〇月七日、海軍旗章令によって一六条光線の旭日旗を制式の軍艦旗と定めた。陸軍の連隊旗次の戦闘時に再掲揚される。
(軍旗)と基本的に同じデザインだが、全体に横長の長方形となっており、現在の海上自衛隊の自衛艦旗に、そのまま継がれている。
 通常は艦尾に掲揚されているが、海戦になると、マストの頂上に掲げられ、「戦闘旗」と呼ばれる。勝利の場合は、栄光の戦闘旗は記念物として保存され、次の戦闘時に再掲揚される。


(了)

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