爺の独り言

彼女が逝って・・・ 

2019年08月14日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

彼女が逝ってから10年になりました・・・

先輩から「彼女死んだの聞いたか?」って、言われて「何時?」「今年の五月に阪奈病院で・・・」

「体調が優れないから、四国に帰る」と言われて、時々電話でのやり取りは有ったけれど・・・

そう言えば一年ほど連絡無いなあ・・・まさかそんなに
悪い状態だとは、夢にも思って無かったので、聞いたとたん、涙が出て、何故か解らなく涙が止まらなくて・・

10年前の8月13日・・・・・・・

四国に居るものと思っていたのに、大阪に来てたのなら何故電話して来なかったのか?

それも手術に来ていたのなら、一度くらい電話くれても良いのに?・・・

彼女と出会ったのは、彼女が19歳で私が25歳の時でした。

その時、私は曽根崎商店街に有ったオモチャ屋で働いて居て、彼女は近くの中華飯店で働いてた。

曽根崎商店街の入り口に「梅田花月」が有って、ふらっと店を覗いてくれた「平の三平」兄さんが
少し話しただけだったのに何故か気に入ってくださって「兄ちゃんお茶行こ」って誘ってくれて

近所でコーヒーを奢って貰ったりしてました。
時には店に来ていた彼女も一緒に連れて行って貰った事も有りました。

一緒に住みたいと言うので、大淀にマンションを借りて住む事にして、服装なんかもその頃流行ってた

クリーム色で一つボタンにサイドベンツのスーツをお揃いで作って粋がっていました。

スカートにしろと言ったのに「お父さんと一緒のズボンにする」と言ってくれたり、色々と合わせて

くれたり、そんな格好で歩いてると時々だけど、若い兄ちゃんに絡まれそうな時も、有ったりしたが

「こらっチンピラっ!おまえらなっ!お父ちゃんに殺されたいんか!」と啖呵を切ったり、四国出身
の気の強い所も有ったのに・・・

一緒に住む事を姉に反対されていたので、常に私のことを立ててくれてて、おんな癖の悪い私を一度
たりとも批判した事も無かった。

別の彼女が近くで鉄板焼きの店をやっていて、私が一人で夕食を食べようと行った時、座敷に座っていた、

丁度売り出してた漫才師「やんちゃな兄ちゃんと目玉の兄ちゃん」の目玉の方の兄ちゃんが
連れの落語家に「おい、飯貰ってこいや」で、落語家の方が「ご飯下さい」って言うと、ママが一言

「すみません、内の店ではご飯やってないんですよ」

すると目玉の漫才師が「そこの客、飯食ってるやん」

「すみません、これはお客さんじゃなく、家の主人で晩ご飯なんですよ」

「客が欲しいと言うとるんやから出したりや」

「店ではご飯出してないので、主人の食べる分しか炊いてないんですよ」

その漫才師は帰るまで不機嫌に、ぶつぶつ言いながら出て行ったけど・・

やんちゃな相方と大人しい風の漫才だけど、実際は結構似たり寄ったりやなぁ・・・と、思って家に帰って彼女に話したら・・・

「大人しそうな感じやのに、お姉さんって、結構キツイとこ有るねんやね?」

って感じで、誰と付き合って居ても、一切、文句を言わない気質で、ある時などは、私が結婚の約束をしたのに最近逢ってくれないからとマンションに母親と一緒に来た女には・・・

「御免なさい、あれ、お父さんの病気で、今までも何人か来た事あるけど、結婚の約束したと嘘言うたら、あかんよ!お父さんは絶対に結婚とかの約束はせえへ人やからね。」

「綺麗やなぁ、とか、お前の事世界で一番好きやとか、調子のええ事は、言うけど嘘の約束だけはせえへん人やからね・・・」

その日も帰るなり!

「今日も来てたよ、何処そこの銀行の女が・・・それも母親と一緒に・・・」って、言っただけで

いつもと変らない口調で・・・

「早く脱いで風呂に入って!」

彼女と一緒に住む事になった時に言われた事が「何処の女を抱いたか解らない身体やから、玄関に入ったら、その場で着てる物一切脱いで風呂に入ってから、部屋に入ってくださいね!」でした。

5年ほど暮らしてて、私が馬鹿な見栄を張って、別の彼女に子供が出来たと相談されて、絶対に子供を生みたいけど相手は歯科学校の生徒で、家に言えば堕胎しろと言われる。

私の子供じゃ無いらしいけど、どっちにしても本人が「生みたい」と言うのなら、男として黙って居る訳に行かないから、彼女に子供を生んで落ち付くまで此処に住まわせても良いか?と言うと、

「別にお父さんが決めたのだから良いけど、籍はどうするの?」

「5ヶ月過ぎると私生児扱いになるから、席を入れなきゃなんないでしょう?」

「それじゃあ、私の立場が無くなるから、出て行くよ?」

私が何をしても、笑って許してくれてた彼女だけど、今回の事態だけは許して貰えなかった。

詰らない男の見栄と、下らない意地の為に彼女を見送ってしまったけど・・・

結局、入籍をしてしまったから子供が生まれてもづるづると親子と一緒に暮らしてしまった。

その入籍に行った時に区役所の人に言われて吃驚したのが!「再婚になりますね?本籍はどうしますか?」って、ぎゃはははは・・・

「私は初婚ですが?」

「いいえ門真で入籍されてますよ、離婚届は出ていますけど?」

結局は20歳の頃に一緒に住んでいた女が勝手に、結婚届と離婚届を出してたみたいで・・・

その頃は簡単に結婚届けや離婚届が受理された様で、吃驚の婚姻届けになりました。

彼女は家を出てからも大阪に居て、時々電話をくれたり、近況を聞いてくれたりしてくれて、時に食事をしたりの関係は持ってくれてました。

そんな彼女なので、反対されていた姉さんとの関係や親御さんとの事もあったろうから、極力は表立って私との関係は話したくなかったのだと思う。

大阪の病院に来た時は、末期で駄目だと医者にも言われたみたいで、そんな姿を意地でも私には見せたく無かったのだと思う。

これを書いてると、また、何故なのか?・・・涙が出てしまう・・・

こんな出鱈目などうしょうも無い男なのに、最後まで気を使ってくれたのが悔しくて、何もしてやれなくて、たった5年間の短い暮らしだったのに・・・

今までの色々な女性や、親や、子供等よりも、最後まで心に残るのは彼女の事だろうと思います。

こんな文章を、読んでくれて有難う御座いました。しょうも無い自慢話で済みませんでした。



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涙💧

カズカズさん

こんばんは!
涙って自分が意識していない時に、突然流れ来る事が有りますね。
何故なぜと思っていても、後からあとから涌き出てきました。
後から考えると、普段は何も考えないようにスルーしている事が涌き出てくるみたいですね。
穏やかな1日が無事過ごせますように!

2019/08/14 19:06:03

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