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葵から菊へ
故北宏一朗さんが推奨した戦争文学『イペリット眼』 平塚海軍工廠付属病院が作品の舞台
2019年06月18日
テーマ:テーマ無し
ご逝去された毒ガス研究ジャーナリスト北宏一朗さんから推奨されて購入した毎日新聞社刊「戦争文学全集5」『イペリット眼』を紹介します。
・・・・・・・・・・・
*編集委員 平野謙・大岡昇平・安岡章太郎・開高健・江藤淳
*収録作品
*イペリット眼 藤枝静男
*ロング・ロング・アゴウ 鳥尾俊雄
*?の中 吉行淳之介
*海と毒薬 遠藤周作
*遁走 安岡章太郎
*蛍の河 伊藤桂一
*出発は遂に訪れず 鳥尾俊雄
*解説 大岡昇平
『イペリット眼』の著者 藤枝静男
明治四十一年(1908)一月一日、静岡県に生まれる。本名勝見次郎。八高理科を経て、千葉医大卒。戦時中は平塚海軍火薬廠共済病院眼科部長。戦後、浜松市で眼科医を開業。昭和二十二年より、八高時代の友人平野謙、本多秋五らの雑誌「近代文学」に『イペリット眼』『痺我慢の説』『犬の血』などを発表。その後も創作活動を続け『凶徒津田三蔵』『ヤゴの分際』『鷹のいる村』『瓶の中の水』『空気頭』(芸術選奨)『欣求浄土』など多くの作品がある。
解 説 大岡 昇平
この巻には戦闘そのものではなく、後方基地、駐屯生活、野戦病院または内地の国民の生活を扱った作品が収められている。
藤枝静男「イペリット限」は海軍弾薬工場で毒瓦斯に汚染される人々を、一徴用眼科医の限から描いたものである。作業の詳細はわからないのだが、患者の指の股のただれ、皮膚のひっつれ、眼の結膜炎症など、症状によって汚染であることはわかる。
徴用工は結膜炎になっても、癲癇患者であっても、非情な職業軍人である主任軍医の訊問に会うと、「詐病でした」と「自白」することを強要され、職場に復帰させられる。しかしその主任軍医自身もイペリットの害にたっぷり冒された身体を持っていて、そういう非情を身につけざるを得なかった一人の犠牲者として、作者は示している。
作品ほこれらの事実の逐次的発見という小説的進行において語られるのだが、禁止兵器生産過程にまき込まれた人間が取らざるを得ない、さまざまの歪んだ姿勢が、リアリスチックに描出されている。例えば詐病の自白を強要する将校と徴用工の会話ほ、隣室から聞いていると、「友人同志のしんみりした会話」のように響いた、という。「毒薬」は「徳薬」という陰惨な秘匿名をつけられている。工員は実験用に自分の体の一部を提供することを「献納」するというのである。
善意の主人公は工員の結膜汚染の効果を軽減するために、力を惜しまず働き続ける。その経過は医学的詳細をもって報告され異様な効果をあげている。しかしその主人公もまた一人の医師として「自分が誰も見たことのない世界を覗き込みつつあるという喜びで一杯であった」ことを、作者は見逃がしていない。そして彼の研究はこういう人間的熱情と、非人間的な実験と事故のからみ合った状況の中では、結局あいまいなものとならざるを得ず、研究は半年後には放棄同然となった。
「(俺は何の為にこんなことをするのだろう?)彼は自問したが、この間を追求する情熱も彼の胸には湧いて釆なかった。(結局、ほかにすることもないからやるだけだ) 彼は自答して苦笑した」と作品は結ばれている。昭和二十四年三月に書かれた作品。
(以下略)
・・・・・・・・・・・
(了)
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