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たかが一人、されど一人

読後感「アレクサンドロスの征服と神話」森谷公俊著 

2019年06月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

アレクサンダー大王の神話は幾つか聞いたことがあるような気もするし、映画を観た覚えもある。しかし紀元前の人だからどこまで信じて良いかも分からなかった。偶々書店でこの本が目についたのを好機として、書物を通して一通りのことを知ろうと思った。東大西洋史学科卒業の本物の学者が執筆された本ではある。こんな書物を読む気になるのは暇な老人の特権かもしれぬ。少し時間は掛かったが、下手の小説より面白かった。これまで神話だけの人物かとも思っていたが、紀元前4世紀に実在した人物だった。我々日本人と言うか個人的かもしれぬが、この時代は人間は竪穴式住居に住み使う道具は石器と土器が精々、村落があったかもしれぬが、国家と言えるような規模の社会生活をイメージするのが難しい。しかし外国には紀元前からの遺跡が多数あって、日本史に先行する文明や社会形成の歴史が証明されていることを改めて認識した。大学入試で「世界史」を選択しながら恥ずかしい限りだ。更に認識の違いを思い知ったのは、人間の文明は北半球の寒い地帯から始まっていることの間違い。少なくとも紀元前に東地中海やペルシャで栄えた文明は、寒冷地とは無関係だと思う。脱線してしまったが、肝心のアレクサンダー大王が残した伝説は非常に多いが、遺跡らしきものは皆無に近い。彼が築いた都市は一説には70とも言われるが、現存するエジプトのアレクサンドリアを始めとして、確認できる都市は20に満たないとのこと。大王は紀元前323年遠征先のバビロンに於いて32歳の若さで没している。彼はギリシャ北方のマケドニア(6日のブログで現在のブルガリア辺りかと書いたが、その西隣にマケドニア共和国が現存している)の王様の長男。親の教育も良かったろうが幼少より文武両道秀でていたらしい。長じて東地中海の都市から始まりインドに至る大帝国を築いたことは既に6日に書いた通り。彼の直接の遺産が少ないのにこれほどまでに有名になったのは何故か。それは偏に彼の後継将軍たちのお陰と著者は断じている。彼等は自分たちが生き延びるために大王の後継を名乗り、競うように大王の遺志をアッピールすることになる。結果的に後継争いの戦争も続くが、ローマ時代に至るまで大王が残したヘレニズム(ギリシャと当方文化の融合)文化は継承されていく。大王は生涯を通じて大変な虐殺を繰り返しているが、当時とすれば全世界にも等しい版図を築いたのも事実。その手法には学ぶことも多そうだ。事実歴史の浅い日本では、維新後発足した政権幹部は相当学習したように思う。

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