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秀吉による都市開発(バーチャル旅行) 

2019年05月29日 外部ブログ記事
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京の町を「安寧楽土」にすべく取り組む

 ☆土木工事の達人秀吉による都市開発
 ☆秀吉は朝廷より関白の官位と「豊臣」の性を賜る
 ☆都を「安寧楽土」とすべく都市開発を遂行していく
 ☆正庁を兼ねた邸宅・緊楽第の建設
 *殿堂には七宝をちりばめ、瓦に金箔をおした豪華絢爛
 *聚楽第の周辺には千利体に加え諸大名の屋敷が造られた
 (武家町、公家町、寺町を造る)
 *身分によって住む場所を分けた
 *新道を通し現在の町並みの元となる短冊形の町割りに改造
 *町家や商店が立ち並び、商工業が活性化した
 ☆聚楽第建設と同時期に着手したのが方広寺の大仏殿の建立
 *東大寺の大仏殿は焼失していた
 *豊臣政権のシンボルとして奈良の大仏を越える黄金大仏の建立を計画した
 ☆安寧楽土を取り囲む巨大な城壁「御土居堀」を建設
 *堀内を「洛中」、外とを「洛外」とした
 ☆今もその時の痕跡を町のあちらこちらに見ることができる

高台寺
 ☆北政所ねねと秀吉の美しい夫婦仲を感じる
 ☆豊臣秀吉の菩提を弔うため、正室北政所ねねが、建てた臨済宗の寺院
 ☆豪華な高台寺蒔絵が施され、秀吉とねねの木造が安置されている
 ☆その下には晩年をこの地で暮らした、ねねが静かに眠つている
豊国神社
 ☆豊臣秀吉を祭神とし、出世開運・良縁成就の神様として崇敬される神社
 ☆正面の唐門は、秀吉が建てた伏見城の遺構と伝わる国宝建築
 ☆秀吉は合戦の馬印として千成瓢箪を使用したことに因み、瓢箪の形の絵馬がある
聚楽第址碑
 ☆黄金に輝いた夢の居城跡をめぐる
 ☆秀吉が京都の都市造りの第一歩として造つた聚楽第の本丸を囲う濠跡に立つ
 ☆北は―条一筋北、南は丸太町、東は堀川、西は千本を外郭とする
 ☆広大な敷地に本丸、二の丸、北の丸、西の丸があったという
方広寺
 ☆大阪夏の陣の発端となった鐘
耳塚
 ☆慶長の役の拶い犠牲を供養
 ☆秀吉が大陸も支配の手をのばそうと朝鮮半島に侵攻した
 ☆武将が、戦功のしるで、朝鮮軍民の鼻や耳をそぎ、塩漬にして日本へ持ち帰る
 *秀吉の命によりこの地に埋められ供養の儀がもたれた
御土居
 ☆京都を取り囲む巨大な土木工事の痕跡
 ☆防塁と鴨川の氾濫から街を守る堤防として築かれた「御土居」
 ☆秀吉の町づくりへの情熱を感じることができる
 ☆御土居史跡公園
甘春堂東店
 ☆豊国神社へと続く正面通
 ☆かつて方広寺の「大仏詣」の人々で賑わい沿道では「大仏餅」が売られていた
 ☆昭和の戦争の折に途絶えた「大仏餅」
 ☆先々代当主が復刻
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『京都歴史さんぽ』












京の町を「安寧楽土」にすべく取り組む
(『京都歴史さんぽ』記事より画像引用)

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