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5代目前田綱紀(加賀百万石を大飛躍させる) 

2019年05月15日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



80年間も藩主をした加賀藩5代目前田綱紀

 ☆将軍、三代・徳川家光から八代・徳川吉宗の時代に生きていた人
 ☆前田家を安全な位置に落ち着かせ、民からも慕われた綱紀
 *生涯が現役の藩主でした
 ☆約80年間も藩主の座にあったというのは稀な例
 ☆藩主が積極的にお金を使った
 *領内にお金が回り、藩が豊かになった

綱紀の誕生は、待望の男子として祝福された
 ☆綱紀の誕生は「待望の嫡男」、前田家では上を下への大騒ぎ
 ☆外様大名では最大勢力の前田家
 *跡継ぎなしというのは安心していられない
 ☆綱紀3歳のとき、父・光高が31歳の若さで亡くなる
 *前田家には、嫡男がいて、隠居の利常がいた
 ☆将軍家光から「祖父が孫を指導しろ」との命令がでた
 ☆加賀藩は改易を免れた
 *綱紀は、利常の元でやっていくことになる
武将と呼ばれる祖父から帝王教育
 ☆祖父の利常は、前田利家の子供
 *綱紀も武道を奨励する
 ☆綱紀は、12歳で、元服を果たして正四位下の位階を受けた
 ☆保科正之の娘を正室にもらう
 ☆藩主としての地位固めは順調に進んだん
 ☆結婚から8年して彼女が亡くなった
 *新たに正式な妻を迎えることはなかった
 ☆利常が亡くなった後
 *甥の保科正之を政治の模範として藩政に励む
前田綱紀の治世(生活保護)
 ☆農業方面のさまざまな制度を整え土地を整備した
 ☆飢饉の際に作った「御小屋」施設
 *生活に困っていた人々に米を支給
 *病人のための医者を配置していた
 ☆今で言えば生活保護制度
前田綱紀の治世(学問の奨励)
 ☆綱紀自身が学問好き
 *武芸や建築、文芸などありとあらゆる学問を奨励した
 ☆学問の奨励の中には、書物奉行もある
 *新たに設けた役職であり、古書を収集&保存
 ☆藩士たちも学問や芸術を好む気風となる
前田綱紀の政治的なバランス感覚
 ☆大藩であるが故に幕府に睨まれやすい
 ☆蓄財はしないという方針に徹していた
 *改築や調度品などに惜しみなくお金を使っています
 ☆学問奨励も散財するという面があったのかもしれない
前田綱紀ダンスもお上手!開発も順調に130万石突破
 ☆綱紀は舞の名手で、将軍の前で披露したこともある
 ☆徳川綱吉の時代
 *加賀藩は名実共に100万石を達成し、幕末には130万石超
 ☆御小屋も変わらず続けていた
 *「加賀にはホームレスがいない。素晴らしい政治だ」とこれまた絶賛された
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詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『武将ジャパンHP』


80年間も藩主をした加賀藩5代目前田綱紀
(『武将ジャパンHP』記事より画像引用)

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