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私の平成 

2019年04月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



平成を回顧するテレビが賑やかですね。
元号が変わることに興味はないけれど、昭和だと思っていた事件や出来事があれもこれも平成だったと気付いて、自分のことを思い返して、自分の年表を書いてみました。


平成元年の夏58歳。まだ楽じゃ無かったお掃除おばさん時代。
平成3年、娘がスペインに渡り以来28年、現地に根を生やしています。


平成11年68歳になると、15年間続けたお掃除おばさんをやめました。
2000年平成12年、69歳で息子からパソコンを習い始めました。
14年70歳8ヶ月で、一橋中学通信課程に入学。月2回のスクーリングを楽しみ、ノートはパソコンにまとめて休んだ人に送っていました。
17年、皆勤賞を貰って中学を卒業。夫の手術で進学はできず。
同年10月、このブログを書き始めて、14年目にになります。
18年秋、75歳で現在の家に移住。

19年、町の図書館に、語りグループを見つけて即参加。以来語りにのめり込んで、毎年「夜語り」や大人のお話会や、小学校訪問や、地域サロンなどで語りを聴いてもらっています。
29年4月、前々から介護認定受けたまま使っていなかった介護保険で、リハトレに通い出し、30年末まで続けたが、夫の介護で目下休止中。
30年3月22日、発するFMで「河童の詫び状」など、初収録。放送は4月以降毎週金曜日10時から30分。現在では日曜午後2時半から再放送もあります。
ラジオ番組をもらってから、1年1ヵ月になります。これも張り合いのある仕事です。
語りのイベントは毎年2回ありますし、小学校にも毎年2回ぐらい行きます。高齢者サロンは常連になって語っています。語りがいちばんの楽しみで、老老介護の息抜きになっています。
こう書いてくると平成は私には最高の時代でした。


昭和の時代は思い出したくも無い。敗戦の年、14歳以後、平成3年60歳までは、ストレスの連続でした。


一時四柱推命を習い、占い師であった時代が数年あり、依頼者に寄り添いすぎて、疲れ果て身体を壊すのでスッパリやめましたが、自分の運勢は予測していました。
私の人生60代から上向いて70代が全盛期で80代は楽しみは続くが厄介ごとも増える。90代まで生きれば厄介ごとが減って、また良い時代になる。という予測を立てていました。今までピタリと当たっています。


平成3年60歳から徐々に運気が向上、70歳からどんどん楽しくなって、70代が私の全盛期。80代は楽しみは継続、体調不良が進み、老老介護に至るも、語り道楽の楽しみが支えてくれています。90代がまた運気向上なら、今が辛抱のしどきかな。まだまだ生きる気でいる私です。

以上私個人の平成史でした。


平成に多かった地震や風水害に、何の被害も受けずにいました。
関東大震災から100年近く、関東に巨大地震がないから今のところ無事なのですが、海抜30m以下の土地には住んだことがないのも幸いしています。
自然災害に無縁だったことは恵まれた人生と言えます。


今日は、志帆とパパがきてくれましたが、志帆が風邪っぽくなりました。パパも厄介な感染症が出て、まだ抗生物質を飲んでいるそうです。


私がここ数日膝痛激しく、もしかしたら手術が必要かもという痛みなので、万一の場合夫には入院や老健を覚悟してもらわねばという話が出ました。
膝痛は一時的にひどくなっても、やがて落ち着くことの繰り返しですから、今回もいずれ痛みは普段通りに戻ると期待しています。
お昼を作ってくれて、方々片付けて、2時にヘルパーさんと入れ替わりに帰って行きました。
ヘルパーさんは、私の分45分のお掃除と夫の世話50分を連続でやってくれます。


夕飯はお寿司がもう届きました。膝をかばいながら、何とかやっています。

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