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たかが一人、されど一人

元号騒動 

2019年04月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

母は明治45年2月生まれだから明治の人間としての誇りを持っていた。父は7つ年上なので、いつも笑いながら「お母さんは大正人だよ」と半ば小馬鹿にしていた。詳しく知らなかったので調べると、明治は7月30日まで続いたので母が正しいことが分かった。難しいのは大正15年生まれの人と昭和元年生まれの人の場合だ。大正天皇の崩御は大正15年12月25日なので昭和元年は1週間しかない。大正15年、昭和元年、昭和2年生まれの人は15才ほど年上に当たるのでお世話になった人が大勢いる。長幼の序列を考える時など何方から並んでもらうか分からず、まごついた経験が屡々あった。先の大戦に直接参加した人も多いが、それだけで判断しては順番を間違いかねない。この年齢の人はよく笑いながら話してくれたものだ。「昔の同級生は落第なんか関係なく、3世代がいたものよ。」そりゃそうだろう、大正15年の4月1日から昭和2年3月31日生まれが同級生になる訳だ。昨今の新元号騒動を見て感じることがある。率直に言うと、総理大臣は皇族や天皇の地位を内心軽く見ているくせに、利用だけはちゃっかり十二分に利用している。鳩山由紀夫氏に言わせると、嘗て習近平氏が来日した際に天皇陛下との面談を設定したことを「陛下の政治利用」と野党自民党から強い反発を受けた。それを思うと、この元号騒動は皇室の政治利用そのものではないか。これは政権が意図していることではないと思うが、結果的にそのような僻み発言が出ても不思議ではない。これは元号法制定の際に事前発表できるかどうかを法定化しないままに放置していたことに原因があるらしい。施行されている元号法にも「皇位の継承があった場合に限り改める」と明記してある。歴史的にもそのように継承されてきた訳だが、そうすると3世代人が同級生の様な不便さがあると言うよなことが勘案されたのかもしれぬ。このようにしてお手軽な現代人が生まれ、伝統は徐々に薄れて日本の姿も変わってゆくのだろう。どっちが良いかは判断しかねる。

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