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インドの歴史6(タージ=マハル、アクバル、ムガル帝国) 

2019年03月31日 外部ブログ記事
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インドの歴史6

ヒンドゥー教とイスラーム教の融和と分裂

デリーがインドの中心に
 ☆11世紀から12世紀にかけてガズナ朝、12世紀にゴール朝
 ☆インドの主役はイスラーム勢力になる
 *北インドに次々とイスラーム勢力が流入する
 ☆13世紀には、元トルコ人奴隷が北インドをほぼ統一
 *奴隷王朝をひらき、約300年間、デリーに都をおく王朝が続く
 *デリー=スルタン朝の時代と呼ばれる
インド“最強"のイスラーム国家が成立
 ☆ムガル帝国(インドのイスラーム王朝として最も強大さを誇った王朝)
 ☆初代皇帝のパーブル
 *デリー=スルタン朝を打ち破り、ムガル帝国を打ち立てた
 ☆300年以上にわたってインドを統治する
 *「ムガル」とは「モンゴル」のこと
 *バーブルがモンゴル人の血を引いていた
インド史上最高の“名君"アクバル
 ☆ムガル帝国はインドのイスラーム王朝として広大な領土を誇る
 ☆君主は絶大な権力を持っていました
 ☆皇帝たちはイスラーム王朝の君主
 *インド全体をイスラーム教に染めたいと考えていた
 *そこには宗教的な“摩擦"が伴う
 *イスラーム教は1神教
 *アッラー以外の神を認めず、すべての信者が平等だと説く
 ☆インドの歴史的経緯から、インドの民衆の信仰にはヒンドゥー教
 *ヒンドゥー教は、雑多な神々を取り込む多神教
 *カースト制(身分)の概念と密接に結びついている
 ☆ムガル帝国
 *支配を拡大すればするほど、水と油のような両信者の対立の激化が生まれる
 ☆第3代皇帝のアクパルは、両教徒の融和を図る
 *イスラーム教徒とヒンドゥー教徒との税制の平等を実現し宗教融和に努めた
 *都をアグラに遷都し、帝国の中央集権化を進めました
 *アクバルは、宗教の融和を図り、国に安定をもたらした
 *インド史上最高の名君といわれる
「世界で最も美しい墓」の建設
 ☆5代目のシヤー=ジャハーンは、「お墓」で有名な王様
 ☆愛する妻のムムターズ=マハルの死を嘆き悲しんだシャー=ジヤハーン
 ☆白大理石で“世界一美しいお墓”タージ=マハルをつくる
 ☆川向かいに黒大理石でもう1つ黒いタージ=マハルを建設する
 ☆国家予算が底を尽きかけていた
 *息子のアウラングゼーブが反乱を起こして父を監禁する
 *息子に裏切られたシャー=ジヤハーン
 *死後、タージ=マハルの中、妻の棺の隣に棺が置かれる
ヒンドウー教への不寛容が復活
 ☆父に反乱を起こした野心家アウラングゼーブは、精力的な遠征を行つた
 *ムガル帝国の最大領域をつくることに成功
 ☆アウラングゼーブは熱心で敬虔なイスラーム教徒だった
 *融和的なムガル帝国の宗教政策を否定
 *ヒンドウー教徒に対して厳しい政治を行う
 *ヒンドウー教徒に対するジズヤを復活、多神教徒に税制上の差別をつけた
 ☆インドの人口の9割近いヒンドゥー教徒が一斉に反発
 *各地で反乱が頻発する
 ☆アウラングゼーブの治世時、イギリス・フランスがインドの各町を支配下におく
 *インドの植民地化を開始します
 ☆「絶頂期は転落の始まり」アウラングゼーブの治世
 *その言葉がぴつたりの時代になる
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『世界史の教科書』






インドの歴史6(タージ=マハル、アクバル、ムガル帝国)
(『世界史の教科書』記事、ネットより画像引用)

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