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雑感日記
私の日記から 雑感−1
2019年03月24日
テーマ:テーマ無し
★日記を書きだしてから、もう66年にもなろうとしている。 よく続いたものである。
なぜ、突然日記を書きだしたのかは、何回かはこのブログの中でも述べているのだが、最初にどんなことを書いたのか、ふと思って最初の『大学ノート』を引っ張りだしてきた。
スタートしたのは、昭和28年(1953)11月8日、大学2回生の時に、突然書き出しているのである。
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『思い立ったらすぐやる』というのが私の性格で、この時もふと日記を書き出したし、今回もこのブログにすぐにアップしているのである。
そのノートの第1ページ目に、こんな書き出しの感想というか想いを綴っている。
昭和28年11月9日の朝 とある。
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何を書いているのか、ここに書き写してみたい。
『平安の昔より十六夜・かげろう・紫式部日記と上の部類では文学として1000年の年代を経て現在に残っている。そのようなものにしようとは毛頭考えないのであるが、ただ単なる青春の想い出として、後のちには自分の脳裏から消え失せてしまうであろう些細な日々出来事をまた考え、大げさに言えば思想というものをつたない筆ではあるが記していこうと思うのである。
日記というものを書こうと思い立ったのはこれが初めてである。そしてその生まれて初めての日記の書き出しが肺浸潤とかなんとかという病気の日々であることは、思っても不幸なことである。
日記とは読んで字のごとく日々の記である。このようなものは少なくとも後に自分の考えなり行動なりを残そうとする意思表示であると考えなければならないだろう。体の健康な時には日記なんて見向きもしなかった代物である。10日間ほど寝ただけで日記を書こうという気持ちになるというのはどういう意味を持つのだろうか?人生50年というその短いとされている期間をさらに短縮されるかも知れないという人の弱い気持ちから出てくるのであろうか?いや一日の手持ち無沙汰からかも知れない。
まあとにもかくにも、悪いことではなさそうである。世に名の聞こえた人々も多く記していることではあるし、いつまで続くかが問題である。これから先一生続いたら大したものである。2,3日で止まってしまっても叉それもよいであろう。身分相応にあきしょうの自分に最適な大学ノートによってその一頁を始めることにする。
いつまでも続くことを祈るや切である。』
と書いている。
確かにこのちょっと前に肺浸潤と医者に宣告され、当時は未だ『結核』が大きな病気であった時代だから、自分の人生も長くないかも知れないと思ったのは事実だろう。
でも、なぜ具体的に『日記』という行動に走ったのか?
そのことについて、上記の1日前の日記にはこのように書いているのである。
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『昭和28年も早いもので今日は霜月8日、この1年もこの月と師走を残すのみである。今日の新聞で蒋介石主席が30年間日記をつけているとかの記事を読んだので自分も真似事ながら日々のよしなしごとを記してみようかという気になったのである。
先月の28日、胸が悪いと医者に宣告されてからはや10日間の養生生活が続ている。家で寝ているだけのことではあるが、その間にはスケートなんかも行っている。いやはや大した病人ではある。大体、生まれてこの方医者の手を借りることなしにこの年まで育ってきただけに自分の健康に自信を持ちすぎたのが悪かったのである。好きな野球でこうなったのではどこに文句を持って行き処もない、まあ運命とあきらめるほかはあるまい。
だが病人とはかくもつらいものであろうか?毎日寝て暮らすというのは傍目ではうらやましい限りの様に思うだろうが、並大抵ことではない。運動は勿論、酒、煙草、映画の類が一切禁止されている身であればこの苦痛限りない悲嘆尽きない果てしないのである。
折しも今日は日曜、堀尾さんにマイシンの注射がてらヤンチの家に寄ってみた。フリコにも逢った。彼の就職のこと気にはなるがどうしようにもない。本当にかわいそうだとは思うのだが。ヤンチと藁を売りに行き帰りに関宅に寄る。彼は昨日の運動会で1万メートルに優勝したとのこと、万年筆を貰って得意満面の面持ちだった。ワラ代百六拾円也、二人でお好みを食って全部パー。
昼からは例によって例のごとく家で寝んね、幾ら考えても悲しい身の上ではある。そのうえ全セーNYGの野球試合も停電でオジャン、気はむしゃくしゃするし熱は7度に上がる。全く泣き面に蜂である。10時からのS盤アワーも聞かずに寝てしまった』
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★こんな1日目の日記である。
ヤンチや、フリコや関とは、明石高校時代の野球仲間なのである。
大学2回生、夏の合宿で風邪をひいて熱があったのだが、そのまま練習して体調を崩したまま、秋のリーグ戦に入った。最後の方には試合に出ているだけで『しんどくて』リーグ戦が終わってから、生まれて初めて自分から医者を訪ねたら「肺浸潤」の宣告を受けて、大ショックだった頃なのである。
医者に脅かされて、この時期は大人しく寝ているのだが、それは1ヶ月も続かずに、『何とかなるだろう』と普通の生活に戻り、野球部生活にも復帰しているのである。4回生の頃には肺浸潤が肺結核になり、胸に空洞ができてしまって、肺結核も最悪の状況になったのだが、それでも野球は止めずに、5回生では野球の監督などもやっているのである。
担当のお医者さんは元軍医で粗っぽい方だったので、会社の身体検査は『息を止めて』という所を静かに吸ったりしたら「全体がぼける」から『多分大丈夫だろう』と仰るのである。その通りにしたら川崎航空機の身体検査も通って入社できたのである。
どう考えても『いい加減な性格』だとは思うが元々体は強かったし、何よりも『運がよかった』のだろう。
会社でも野球をやってたら、今度は診療所のお医者さんに見つかって、療養所に放り込まれてしまったのだが、1年で空洞も消えて出所しその時スタートした二輪事業営業の担当となるのである。
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日記を始めたきっかけは、間違いなく『蒋介石主席』である。『30年日記を書いているのエライ』と新聞にあったので、日記を書くぐらいなら『自分にもできるだろう』とスタートしたのだが、その頃、ひょっとしたら『自分の人生も短いな』と思ったのも事実なんである。
1ヶ月ぐらいは多分大人しくしていたのだと思う。『肺結核』という病気が特に自覚症状もあまりない病気だから、その後の野球も続けられたのだと思う。86歳まで生きて日記も『蒋介石の2倍』になったから、大いに満足なのである。
考えてみたら、『自分のやりたいように生きた』人生だったが、その背後にあったのは、間違いなく『運の良さ』なのである。多分、今からの人生も好運が続くと信じている。手相の運命線は真っすぐに濃く中指に向かって伸びているのである。
ネアカに、いい加減に生きれた人生に乾杯である。
そのきっかけを創ってくれた『蒋介石』にも『朝日新聞』にも感謝なのである。
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★NPO? The Good Times のホ―ムページです
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