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2019年03月23日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

「えっ? 私がテレビにですか?」
「以前、お見かけしたように思ったのですが……」
「人違いだと思いますよ。私、ただの主婦ですから」
「そうですか……」
思い切って、尋ねてみたものの、私の憶測は見事に外れた。
あ、やっぱり……である。
私は、自分の目を、信頼してはいけない。
むしろ節穴に近い。
それを自分でわかっていながら、それでもたまに、
当て推量を言ってみたくなる。
万が一ということも、この世には、ないでもないからだ。
そして、外れたところで、失うものとてないからだ。

彼女は、背が高くて、目鼻立ちがはっきりしている。
舞台に立ったら、さぞ映えるであろう。
かつて、宝塚の男役だったか……
なんてことを、つい夢想してしまった。
退団後は、テレビコマーシャルで、
家庭常備薬の宣伝をしていた。
あるいは羽毛布団の、あるいは英会話教室の宣伝でもいい。
何かをやっていたのではないかと、
私は、初めて彼女に会った、その時から思っていた。
インスピレーションという奴である。
これを俗に「ピンと来る」と言ったりもする。

その「ピン」が外れた。
それだけのこと。
妻には、もちろん、この一部始終を言わないつもりだ。
洩らしたら最後、また、何をいわれるかわからない。

タカラジェンヌ似の彼女、Hさんには、女児が一人居て、
それが奇しくも、私の囲碁サロンの生徒となっている。
彼女は毎週末、その子を自転車に乗せ、
私のところへ、やって来る。
そして、囲碁教室の終る頃を見計らい、再び迎えに来る。
その度に顔を合わせ、挨拶をする、そういう仲である。

その女子生徒もまた、背が高い。
小学一年生ながら、私のところに来ている、
三〜四年生女児のそれを、上回っている。
しかも彼女、頭脳が明晰だ。
囲碁の要点について、教えればすぐに、理解し記憶する。
こういう子は将来、何かの分野で、頭角を現すのではなかろうか。
やがて、名を遂げる。
例えば囲碁の、小学生プロ、仲邑菫ちゃんみたいになったら……
そして、その母親が、元宝塚のスターだったりしたら……
これは世上で、大きな話題になるだろう。
その時は、私もさぞ、鼻が高かろう。
ついでに、炯眼を称えられもするだろう。
しかし、それは、見果てぬ夢であった。
現実は厳しい。
私は、他人の子の成功物語を夢見つつ、
その出だしのところから、躓いている。

 * * *

話は、その少し前に遡る。
私が寝しなに一杯やっていると、
妻が突然「ほら、見てよ」と、テレビを指差した。
「これよ、これ。この人、Nさんよ」
近所の住人の名を挙げた。

画面には、初老の女性が映り、横文字の商品名を挙げ
「ぴったり」「フィット」「安心」「快適」などの言葉を、
次々に発している。
「ありゃ、何だ? 彼女が持ってるのは」
「紙おむつよ」
N夫人なら、七十をとうに超えているはずだ。
画面の女性は、大分若い。

「せいぜい六十だろ、この彼女」
「テレビだから、若く見えるのよ。見せるのよ」
化粧やヘアメイクでもって、若作りが出来るのだと、
妻は言う。
「違うだろ。Nさんは、もっとおばさんだ。
あんな美人じゃない。あんなに上品でもない」
「いいえ、間違いないわよ。Nさんよ」
妻は頑強に言い張る。
ここは、両者譲らず、水掛け論で終らせるよりない。
私は、妻との論争は、長期戦に持ち込まないようにしている。
彼女は、外では、羊のように温和なくせに、亭主に対しては、
虎のように居丈高なところがある。

それから二週間ほど経った、これも私が、
晩酌をやっている夜であった。
「ほらほら、出てるわよ、また」
彼女が言い出した。
私は普段、滅多にテレビを見ない。
晩酌をやるのは、リビングルームであり、
そこは妻の管轄下あるから、何時もテレビが、
付けっ放しになっている。

妻のトーンが、前回よりも高くなっている。
今度こそ、何が何でも、亭主に追認させようとの、
強い意思が感じられる。
「違うだろ。見えないな、Nさんには」
私は、前回と同じ主張をした。
否定するための、新たな材料はない。
それを言えば、妻にもだ。
前回と同じく、水掛け論に終始することになる。

「そんなに言うなら、Nさんに会って、直接訊けばいい」
業を煮やし、私が言った。
何時までも決着がつかないと、紙おむつのコマーシャルが、
テレビに出る度に、私達は、不毛の論争を繰り返さねばならない。

 * * *

ある朝、犬を連れて散歩中のN氏を見つけ、
私はつかつかと寄って行った。
「つかぬ事を、お聞きしたいのですが」
「はい」
N氏は、几帳面な性格であるのだろう、いつも明確な返事をする。
人の噂では、元高校教員であったというが、
それを確かめたことはない。
そんなプライバシーはどうでもいい。
私が確かめたいのは、私自身に関わることだ。

「おたくの奥さん、テレビに出ていますか?」
いやぁ、出るわけありませんよ、そんなもん……
と言う答えが、てっきり返って来るだろうと思っていた。
そうしたらどうだ。
N氏がまた、あっさりと、そしてあっけらかんと答えた。
「はい出てます」
「あ、やっぱり……」
私はしばらく、二の句が告げないでいた。
「アマチュアの劇団に、加わっておりましてね、彼女。
そこで関係者の目に止まり、抜擢されたようです」
「ほう……」
「ギャラ、いくらもらってるんだか、私には言わないんですよ」
「あはは……」
他人夫婦の、のろけ話を聞かされているようなものだ。
私は「今後も楽しみに、拝見させて頂きます」と言って、
その場を離れた。

 * * *

この一部始終を妻に言ったら、きっと、
鬼の首を取ったように、喜ぶであろう。
「ほら、私の目の方が、確かだったでしょう」と。
だから、しばらく黙っていることにした。
その間に、名誉挽回を図ればいい。

そうだ、生徒の母親、Hさんを利用しよう。
彼女がもし、元タカラジェンヌだったら、
私の目だって、まんざらではないことにある。
そう思って、訊いてみたのだが、しかし、当てが外れた。
あっさりと否定されてしまった。

このままでは、私の得点機会がない。
亭主の沽券にかかわる。
私は、N夫人のことも、Hさんのことも、
しばらく黙っていようと思っている。
次にテレビでN夫人を見かけた時、こちらから、
おもむろに言えばいい。
「よく見ると、似てるかもしれないなあ……」



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