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朝日新聞の戦争責任はどこへ行った?!(創刊140年) 

2019年03月20日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



記念文を谷川俊太郎氏に頼むが悪口は書かせない朝日は読者を愚弄している

 ☆社長は、「メディアの責務を果たす、それが私たちの誓いです」といっている
 ☆朝日新聞はフエイクニュースを垂れ流す
 ☆真実を追究するメディァの責務を、一向に果たしていない

「抵抗すればつぶされていた」と
 ☆朝日新聞は、今年創刊140年になるとのことで、その特集面を掲載している
 *3面のほとんどを使ったもの
 *谷川俊太郎氏による「新聞はコトパだ」と題する詩が出ている
 *内容は、朝日批判を控えている
 ☆末尾には、新聞は沈黙をせずに、発行を続けることが大事
 *戦時中に新聞は軍部の発表を相対化したり検証したりできなかった
 *抵抗すれば、つぶされていたでしょう
 *そこにコトバの限界はあるわけです
 *でも沈黙するよりは書く方がよい
 *ぼくはそう思いますと!
 *戦争中の報道を全面的に擁護し戦争責任を免罪にする
 ☆年表に出てくる事項と、重要であるのに出てこない事項
 ☆そこに朝日新聞の、歴史というものに対する態度が端的に表れていると考える
緒方竹虎は内閣情報局総裁に
 ☆朝日新聞の年表には出てこない事項(朝日新聞の歴史には重大な汚点)
 *ポーツマス条約に大反対して民衆を扇動
 *日比谷焼き討ち事件を引き起こした
 ☆1931年に満州事変が勃発する
 *朝日新聞など新聞は、事変を積極的に支持する路線に邁進した
 *時の政府が不拡大方針をとった
 *それに反対する論調を展開した
 ☆1936年には、2,26事件の兵士が東京朝日新聞を襲撃と載せている
 *朝日新聞の年表類には、必ず出てくる事項
 *朝日はこれで戦争に批判的であったかのように、読者に思わせたいらしい
 ☆決起側の兵士に対応した、当時の主筆・緒方竹虎
 *8年後の東条英機内閣に代わった小磯國昭内閣で、国務大臣・情報局総裁に就任
 ☆朝日新聞は、政治権力と完全に一体
 *言論統制の総元締めの地位に就いているが、この事実も全く出てこない
朝日新聞1945年、敗戦後、戦争報道の責任明確化で役員11人辞任宣言
 ☆『国民と共に立たん』、社説『新聞の新たなる使命』とある
 *朝日新聞が戦争責任に対する免罪符として、戦後ずっと利用してきたもの
 ☆戦争の反省として、いまでも最もなされていないのは新聞の戦争責任である
 ☆1987年には、「阪神支局が襲われ、記者が1人死亡、1人重傷」とある
 *朝日の人間がテロの犠牲者になった事件である
 *朝日新聞の社員自身が凶悪なテロ事件に関与したことは、全く出てこない
 ☆大学紛争当時、朝日新聞は『朝日ジャーナル』によって極左運動を応援していた
 ☆陸上自衛隊朝霞駐屯地で、 一場哲雄陸士長が、極左テロリスト菊井良治に殺された
 *朝日の社員が関与していた
「サンゴ事件」には一切触れずに
 ☆朝日新聞による自己の歴史の回顧は、自分に都合の良いことは述べる
 ☆都合の悪いこと、汚点については、ほとんど触れない内容
 ☆比較的記憶に新しい事件
 *年表に「慰安婦報道と東京電力福島第一原発『吉田調書』報道でおわび」と出ている
 ☆30年前のサンゴ事件については記述がない
 *沖縄のサンゴを朝日のカメラマンが意図的に損傷する事件が起きた
 *記事は、犯人が不明なのに日本人の犯行と決めつけた
 *日本人全体の犯罪として、日本人を誹謗・中傷する内容だった
 ☆常に日本人に対して歴史の反省を要求してやまない朝日新聞
 *自己反省には極めて不熱心である
 ☆記念文を仲間である谷川俊太郎氏に書かせる
 *谷川氏は朝日の悪口は書かないという
 *それを臆面もなく掲載する朝日は、読者を愚弄しているといって良いだろう
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『THEMIS3月』


記念文を谷川俊太郎氏に頼むが悪口は書かせない朝日は読者を愚弄している
(『THEMIS3月』記事より画像引用)

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