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インドの歴史4(アショーカ王、カニシカ王、サータヴァーハナ朝) 

2019年03月20日 外部ブログ記事
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インドの歴史4

初めてインドを”1つ”にした巨大王朝

インド“初"の統一王朝の成立
 ☆インド全土を統一した「インドの統一国家」が誕生
 ☆きっかけは、東西にまたがる大帝国「アレクサンドロスの帝国」でした
 *アレクサンドロスが東方遠征によつてペルシアを滅ばしインドまで迫る
 *分裂状態ではとても太刀打ちできないと焦ったインド
 *インド内の国同士で同盟を組んだりし少しずつまとまり始めていきます
 ☆動きの中で、頭角を現したのがチヤンドラグプタ
 *象兵を用いた強大な軍事力でインドを「面」的に支配
 *インド初の統一国家マウリヤ朝をつくる
 ☆3代目のアショーカ王は、征服活動をさらに進める
 *南端を除く全インドを統一することに成功する
 *アショーカ王が国をまとめるうえで活用したのが仏教です
 ☆仏教の倫理「ダルマ」を、国を統治する理念として使う
 ☆「父母を敬え」「生き物を大切にせよ」などの道徳
 *柱に刻んだり(石柱碑)、崖に刻んだり(磨崖碑)して、国をまとめようとした
 ☆アシヨーカ王
 *スリランカヘの布教を行った
 *釈迦の教えを正しく理解するため仏典を編纂する
 *保護者のような立場で仏教を発展させた
東西の文化の融合地・ガンダーラ地方
 ☆マウリヤ朝の後に成立したのが、クシヤーナ朝
 ☆マウリヤ朝崩壊後、イラン系の民族がインドに入って建国した
 ☆クシヤーナ朝は、インドの統一国家とはいうもの国の位置は北寄
 *北にはみ出した部分の地域を「ガンダーラ地方」という
 ☆ガンダーラ地方の特徴は「東西の融合」
 *北寄りに位置するため、東西の交易路「シルクロード」が通過する
 *東西の文化、中国、ペルシャ、ギリシャの文化が流入する
 ☆花開いたのが「ガンダーラ美術」
 *仏像なのに、鼻筋が通っていたり、ギリシア風のひだをもつ衣服を着ている
 *ギリシア彫刻の影響が強く、様々な様式が混じる
 ☆クシャーナ朝の王で、有名なのは、力ニシカ王
 *仏教を保護したことで知られている
 ☆力ニシカ王の時代にナーガールジュナが、大乗仏教を創始
 *それまでの仏教は「個人の悟り」による解脱を目指していた
 *「大乗仏教」は、仏教の力で人々が救われると説く
 *日本・朝鮮・中国の仏教の源流になる
東西の海上ルートの中継地点になった南インド
 ☆クシヤーナ朝は「北寄り」に位置していたので、インドの南部は空き家
 *空き家に存在したサータヴァーハナ朝
 *南インドはインド洋に突き出た形になっている
 *ローマ帝国と中国の後漢王朝との間の海上交通路となり栄えた

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私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『世界史の教科書』










インドの歴史4(アショーカ王、カニシカ王、サータヴァーハナ朝)
(『世界史の教科書』記事、ネットより画像引用)

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