メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

慶喜

中東の歴史12(アイユーブ朝、サラデイン、ホラズム朝) 

2019年03月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



中東の歴史12

十字軍と死闘を演じた“英雄中の英雄"サラディンの登場

 ☆セルジューク朝が衰退して地方政権化する
 ☆12世紀のイスラームの主導権はエジプトのアイユーブ朝に移る
 ☆アイユーブ朝は、サラデインが代表的人物
 ☆“英雄中の英雄"サラディンの活躍(十字軍との戦い)
 *サラディンは、イギリスの「獅子心王」と呼ばれたリチャード1世と死闘を演じた
 *リチャード1世が、身代金を払えない捕虜のイスラーム教徒を容赦なく処刑した
 *捕虜となったキリスト教徒へのサラディンの対応
 (そっとお金の入つた袋を渡し落ちのびて故郷に帰らせた)
 *サラデインは、人情味にあふれる数々のエピソードを残している
 *敵である十字軍の兵士から真の勇者と称えられた英雄中の英雄でした
 ☆アイユーブ朝の首都カイロは繁栄する
 *カイロは、バグダードに代わつて、イスラーム世界の中心となる
 *カイロは、イスラーム時代の文化遺産が多数あり、世界遺産に登録されている

イランでは、トルコ系王朝のホラズム朝が建設
 ☆イランから中央アジア方面に大勢力を築きます
 ☆ホラズム朝は、強国ぶりではなく「減びつぷり」で名前を残す
 *13世紀になると、東からチンギス=ハンが率いるモンゴル帝国が拡大
 *ホラズム朝に隣接するまでに拡大する
 *チンギス=ハンは、ホラズム朝に通商使節を派遣した
 *ホラズム朝の国境の町の太守は、通商使節を皆殺しにした
 ☆激怒したチンギス=ハン
 *ホラズム遠征を行い、使節を殺害した国境の町の太守を捕らえる
 *両目と両耳に溶かした銀を流し込んで殺してしまう
 *ホラズムの都サマルカンドはモンゴル帝国の徹底した破壊と略奪にあう
 *人口の4分の3が虐殺されたといわれています
 ☆ホラズム朝は、「有名人に減ぼされたこと」で有名になった
インド・北アフリカにも王朝が続々と建設
 ☆インドではゴール朝が成立
 *ガズナ朝よりもインド側の領域が広がり、インドのイスラーム化が進展した
 ☆西では、ムラービト朝に代わり、同じベルベル人のムワッヒド朝が成立

知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『世界史の教科書』








中東の歴史12(アイユーブ朝、サラデイン、ホラズム朝)
(『世界史の教科書』記事、ネットより画像引用)

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ