メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

慶喜

閻魔(ゑんま)(ヤマ) 

2019年02月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



法乗院(深川ゑんま堂)

 ☆真言宗豊山派の寺
 ☆えんま堂には日本最大の閻魔大王座像が安置されている
 ☆本堂1階には江戸時代に描かれた『地獄極楽絵』が展示されています
 ☆境内には「日本三大仇討ち」で知られる曽我五郎の足跡石がある

巨大な閻魔大王は19のお願いを叶えてくれる
 ☆閻魔大王像、コンピューターで制御
 ☆大王像の前に、「家内安全」「交通安全」「夫婦円満」「ぼけ封じ」など
 *19のご祈願が別個に記された賽銭の投入口が用意されている
 *自らの希望するご祈願に賽銭を入れると、仏様の様々な説法が音声で流れるシステム
 ☆閻魔大王の「除けと封じ」の力を生かしたもの
 *日本初のユニークな機能となっている

閻魔(えんま)(ヤマ)

 ☆仏教、ヒンドゥー教などでの地獄、冥界の主
 ☆冥界の王として死者の生前の罪を裁く神
 ☆日本の仏教においては地蔵菩薩の化身とみなされ同一視されている

東アジアの「閻魔」
 ☆インドの閻魔(ヤマ)は、仏教に取り入られて閻魔天となる
 ☆地獄の主と位置づけられる
 ☆ヒンズー教、ヴェーダの閻魔(ヤマ)から二途に分かれていった
 *下界の暗黒世界(地獄界)の王となった
 *上界の光明世界(六欲天の第3天)夜摩天(焔摩天)となった
中国の「閻魔」
 ☆道教における冥界・泰山地獄の主である泰山府君と共に、冥界の王とされた
 (閻魔王として地獄の主)
 ☆晩唐代に十王信仰と結び付けられ、地獄の裁判官の中心的存在となる
 *泰山王とともに、「人が死ぬと裁く」という役割を担い、信仰の対象となった
 *現在よく知られる唐の官人風の衣(道服)を纏った姿は、ここで成立した
日本の「閻魔」
 ☆仏教においては地蔵菩薩と同一の存在と解され、地蔵菩薩の化身ともされている
 ☆奈良時代に、閻魔の本地とされる地蔵菩薩が伝来した
 *現世利益優先の当時の世相のもとでは、閻魔は普及しなかった
 ☆平安時代になって末法思想が蔓延する
 *平安初期には貴族、平安後期には一般民衆と地蔵菩薩(閻魔)は広く布教される
 ☆鎌倉初期には、『地蔵十王経』が生み出された
 *閻魔の本地が地蔵菩薩
 *閻魔王のみならず十王信仰も普及するようになった
 *本地である地蔵菩薩は地獄と浄土を往来出来るとされている
 ☆十二天の焔摩天は同じルーツを持つ神ともいわれる
 ☆中国では、焔摩天が閻魔大王に習合されていった
 ☆日本に伝わった時にそれぞれ別個に伝わったため二つに分かれた
閻魔王の法廷には、浄玻璃鏡という特殊な鏡が装備されている
 ☆魔鏡は亡者の生前の行為をのこらず記録し、裁きの場で上映する機能を持つ
 ☆裁かれる亡者が閻魔王の尋問に嘘をついても、たちまち見破られるという
 ☆司録と司命(しみょう)という地獄の書記官が左右に控え、閻魔王の業務を補佐している
 ☆平安時代の公卿・小野篁には、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという伝説がある
 ☆閻魔王はコンニャクが大好物であるという俗説もある
 *文京区の源覚寺にこんにゃくを供えれば眼病を治すという「こんにゃくえんま」像がある
 *各地の閻魔堂でこんにゃく炊きの行事が行われる
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『WIKIPEDIA』他

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR









掲載されている画像

    もっと見る

上部へ