メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

慶喜

敗戦と占領(4)(占領軍と朝鮮進駐軍の犯罪・農地改革・華族制度廃止) 

2019年01月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



敗戦と占領

占領軍と朝鮮人の犯罪
 ☆占領中に、アメリカ兵に殺害された日本人は4千人近く
 *強姦された婦女子は記録されているだけでも2万人
 (被害を届けなかったケースを考慮すると、その何倍もいたと思われる)
 ☆日本の警察は、アメリカ兵の犯罪を捜査することも検挙することもできなかった
 *新聞も報道を禁じられていた
 ☆戦前から日本にいた朝鮮人の1部
 *日本人に殺人、強盗、傷害、強姦、窃盗などを働いた
 *彼らは、焼け跡の等地を不法に占拠したり、日本人の土地や家屋を奪った
 ☆朝鮮人の犯罪は、GHQの政策が関与していた
 *GHQは当初、朝鮮人を「戦勝国民」に準じるとした
 *占領初期は、新聞で朝鮮人を批判することは許されず、裁判で裁くことも禁じられた
 *当初朝鮮人は、GHQにより「治外法権」の地位を認められていた
 *その後、朝鮮人の「治外法権」は、削除された
 *警察署や派出所が朝鮮人に襲撃されたり警察官が殺害されたりした事件が10件以上も起きている
 ☆当時の新聞や官公庁の発行物、在日朝鮮人や在日台湾人に対して「第3国人」としている
 *戦勝国、敗戦国いずれでもない「第3国の国民」という意味の終戦処理に伴う行政用語
 (朝鮮人と台湾人を指した)
 *戦後の動乱期における1部の朝鮮人の悪行に眉をひそめた日本人
 (悪感情を込めて「三国人」と呼び、差別語となった)
 *在日韓国。朝鮮人に関する社会問題は、その後も日本社会に根深く残ることになる
公職追放および教職追放は、GHQにとっても大きな誤算
 ☆メディアと教育界に入り込んだ社会主義者や共産主義者たち大きな勢力を持つ
 ☆一般企業でも労働組合が強くなり、全国各地で暴力を伴う労働争議が頻発した
 ☆中国共産党が国民党に勝利して共産主義国を樹立した
 *日本の大学やメディアでもソ連や中華人民共和国を礼賛する傾向が強くなった
 ☆日本の共産化を恐れたGHQ
 *日本共産党の非合法化を示唆し、レッドパージ政策を行う
 *約1万人強の人が様々な職場から追放されたが、政策は徹底したものではなかった
 ☆大学、メディアでは、共産主義者、シンパの追放はほとんど行なわれなかった
 ☆国鉄の労働組織(国労)などでの共産主義者の活躍
 *共産主義者たちが、共産主義に反対する人々を解雇し実権を握った
 ☆共産主義的な思想は、日本社会のいたるところに深く根を下ろしていくことになる
 ☆共産主義者やそのシンパは、日本を大きな社会実験の場にしようとも考えていた
 *メンバーの中には、日本をいい国にしたいという理想を持っている者もいた
 *自らが理想とする「人民国家」を作るために大胆な改革を試みた
戦後の日本改革
 ☆マッカーサーは幣原内閣に「五大改革」を命じた
 (「秘密警察の廃止」「労働組合の結成奨励」「婦人解放」「教育の自由主義化」「経済の民主化」)
 ☆「経済の民主化」での大改革「財閥解体」
 *戦前の日本は三井、三菱、住友、安田等が、各産業を独占あるいは寡占状態にあった
 *財閥とは別に「政商」として国や政治家と結びついている者もいた
 *自由な資本主義の発展を妨げる存在でもあった
 *GHQは80以上の財閥をバラバラにして、分社化した
 ☆証券の民主化が進み、市場が開放されて、数多くの新興企業が誕生した
 ☆「経済の民主化」での大改革「農地改革」
 *明治以降、飢饉や不況などで多くの農家が土地を失う
 *地主の農地を耕す小作農となっていた
 *GHQは、小作農が耕していた地主の土地を政府が安く買い上げ、小作農に売り渡す政策を行なった
 *多くの小作農が土地を持つことができた
 ☆「農地改革」は、現代でも進歩的文化人といわれる人たちに過大評価されている
 *理由は共産主義の「配分」に近いからだ
 *一見公平に見える農地改革だったが、弊害も小さくなかった
 *農地が細分化され効率が悪くなり、兼業農家が多くを占め、中核的農家が育たなかった
 *戦後、日本の食料自給率が最低水準になった原因の1つが農地改革だとする考え方もある
 ☆「農地改革」で、農地の転売には制約を設けなかった
 *米を作らなくなつた都市近郊の農家が土地を宅地業者に売却し始めた
 *土地売却に、政府がほとんど制限をかけなかった
 *高度成長期の住宅ブームで地価は高騰し、庶民が土地を手に入れるのが難しくなった
 *地主が分散したことで、都市開発や道路建設等の用地買収交渉が困難となり、経済の停滞につながった
 ☆農地改革での他の弊害(全国の神社がさびれた)
 *地方の神社の建物や祭典を支えてきた各地の地主たちが財力を失った
 *多くの小さな神社が荒廃した
 *大きな神社も所有していた田圃や山林などを取り上げられたことで多くが荒廃した
 *日本の伝統文化の拠点であった神社が、戦後、急速に衰退していった
 ☆「財閥解体」と「農地改革」はGHQでなければできなかったし、多くのメリットも有った
華族制度の廃止
 ☆元公家や、江戸時代の大名家、維新の功労者が爵位を受けた貴族制度
 *5つに爵位(公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵)
 ☆華族には様々な特権が与えられていた
 *「華族世襲財産法」があり、財産はそのまま世襲された
 *子弟は帝国大学に欠員があれば、無試験で入学できた
 *他にも様々な優遇措置があった
 ☆華族の女性は、当時の庶民にとっては芸能人のような存在でもあった
 ☆「四民平等」が謳われた中で様々な特権が認められていた華族
 ☆GHQでなければ廃止することは難しかったに違いない
 ☆経済的基盤を失った宮家の多くが従来の規模で家を維持できなくなる
 *11の宮家が皇籍を離脱した
連合国の中での昭和天皇を戦争犯罪人として裁き
 ☆連合国側でも皇室を取り除こうとする考えも存在したが、政策は採用されなかった
 *マッカーサーが、昭和天皇に会い人間性に敬服しただけの理由でない
 ☆昭和天皇を処刑すれば、日本の占領統治に大混乱をきたすとGHQが判断した
 *最悪の場合、日本人が死に物狂いの抵抗をしてくるかもしれないとGHQは恐れた
 ☆アメリカ軍は、硫黄島や沖縄において日本兵の凄まじい戦いぶりを目の当たりにしていた
☆マッカーサーとGHQは、日本人の精神を粉々にする政策を取った
 *それでもGHQは、日本の国体である皇室を消滅させることは怖くてできなかった
 *戦争が終結してなお「敵」を震え上がらすほど勇敢に戦った日本兵
 (戦後の国体を守った)
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本国紀』












敗戦と占領(4)(占領軍と朝鮮人の犯罪・農地改革・家族制度廃止)

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ