おもいでの山々

地図に載ってるガラメキ温泉 

2019年01月26日 ナビトモブログ記事
テーマ:自然

地図は国土地理院というとこで管理しているらしい。さかのぼること数十年前地元のおじいちゃんから戦後の駐留軍演習場として相馬が原が接収された話をきいていた。戦前の地図は集められ廃棄になりのこっていないようでみられないが群馬県箕郷町地域で場所は榛名山南面中腹になる。地図の不思議はいろいろあります。例えば県境が入っていない? 決まっていないから入っていないのか、以前の不正確な地図と実勢があってないのか? 接するお互いが違う境界線を使ってるからか?そのたもろもろの理由でかいてないのか消されてるのか? 地名におよんでは話題にことかかないほどある。例えば信州から見ると後立山岐阜側からみると立山とすると地理院はどっちかを選ぶか再度地形を見直すか記入しないかその辺も理由が極めてあいまいのような気がします。
 地理院は地名の変更基準はどうしてるのでしょう。抹消はあるんでしょうか? 統合合併による呼び名変更はどの時点でかえますかるのでしょうか? 新道旧道古道の記入時期と称呼選択ほうほうは??
小生の感じでは基本的地図はなかなか変えないという印象をもってます。おじいちゃん曰く
「よく秋になって収穫が終わると温泉に湯治にいったんだが相馬が原が米軍に接収になると行けなくなった。」それがガラメキ温泉であった。
 ガラメキ温泉はカタカナで書かれている。戦前からある由緒ある温泉である。であった。カタカナは敵国語であったころそんなふうに呼ばれていたのはなんだろう。語源わからない。しっていたら教えてほしい。(相馬山全体が霊山であり山岳信仰の山でなぜかカタカナっぽい地名がある。スルス峠(当て字あり) 何万年も人がたちいったことがないと言われる??オンマ谷など)
 ガラメキ温泉は榛名山南面中腹にあるので背に峻険峰相馬山をゆうしていて山頂には祠が祭られている。相馬山はいぜん黒髪山とも呼ばれて山全体が山岳信仰の対象であり山嶺(現榛東村)には登山口である鳥居がある。山頂奥の院に参拝するには峻険であるために年配や女子にもお参りできるように明治になってから黒髪神社(神社統合令により神社)が建立されて名刹となっている。
 
 地図にある幻の温泉

 最初にガラメキ温泉を訪ねたのは30年以上まえの雪が残る二月末だった。きっかけは地元おじいちゃんの一言だった。4駆動軽トラに4人が乗り込み 林道通過許可のカギを借りて松伏峠に上る県道28をたどり、鷹巣岩の下を右に折れゲートを通過した。間もなく小さな沢にかかっていたオーバーフローブリッジが基礎からひっくりかえっていた。まわりには雪とけ水がながれてあたりいちめんクレソンがみずみずしくグリーン一色にはえていた。ここで荷物ももって歩き出した。途中は倒木や岩崩れがあるが歩くにはりっぱな道路であった。大きくうねりながらほぼ水平に続く東へ東へ続くトラバース道。尾根を越えると道ばたに馬頭観音の石塔があった。さらに
一時間ほど進むと左へ小道が分かれていて道の横に人の手になるような石垣のようなものを見ながら50mほど進むと家があったような平地にでる。ここが温泉宿があったんだろうか?他にいくつかの石像があるだけが人がいたことを想わせる。

さらに進むと沢におりるようになり、沢幅わ山くずれにより広がってどこが温泉源なのかさがした。沢の様子はあまりきれいではない。その中に直径50センチの土管の頭がのぞいているのを見つけた。温度は体温より低い蔵の30度くらいか?さっそく裸になりこわごわはいってみたがかなり深く足がつかないので一度でて石をなげこんでやっと立てるようになり首だけヒュームかんからだして長いことつかっていた。寒くてでられなかった。しかも沢は樹木に覆われて温泉としては気分よくなかあった。

そのご別ルートからも 何回もいってみた。感じたことはあのころから比べると道は荒れ放題で車はまったく通れ祖にもなくなった。沢の下流は大規模な砂防ダム工事がすすみいずれ人のてがすぐ下まできてるようであった。あれから30年地元の人に昔の栄華を聞いても知らない人が多くなるこのごろ地図にしっかり残っているのはなんともいえない気持である。



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