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敗戦と占領(1)(「九条」制定経緯・シベリア捕虜・二日市保養所) 

2019年01月25日 外部ブログ記事
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敗戦と占領(1)

連合国軍による統治
 ☆「ポツダム宣言」(米国大統領・英国首相・中華民国主席の名で発令された13項から成る)
 *日本「軍」に無条件降伏を迫る文書
 *「我々は日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言」とある
 *無条件降伏の対象はあくまで「日本軍」であって、日本国とはなっていない
 *「ポツダム宣言」受諾は「有条件降伏である」と捉えるべきである
 ☆日本はこの戦争で甚大な犠牲を払った
 *約7千3百万の人口の内約2百10万人の尊い命が失われた(約3%)
 *南樺太、台湾、朝鮮半島の領土を失う
 *満洲、中国、東南アジアで、公民含めた資産、施設は没収された
 *全国で2百以上の都市が空襲に遭い、主要都市は軒並み焼き尽くされた
 ☆日本はこの敗戦によって、立ち直れないほどの大きなダメージを蒙った
日本国憲法
 ☆アメリカ軍を主力とする連合国軍が日本の占領を開始
 *実質的にアメリカ軍の単独占領で、占領政策は狡猾だった
 *表向きはGHQの指令・勧告で、日本政府が政治を行なう間接統治の形式をとる
 *実際は、日本政府には、重要な事項に関する権限はほとんど与えなかった
 ☆GHQの最大目的は、日本を2度とアメリカに歯向かえない国に改造することだった
 *日本人が苦心して作り上げた政治の仕組みを解体し、憲法を作り替えることに着手した
 *GHQは、日本政府に対し、新憲法を作るように指示し、帝国憲法破棄の命令に近かった
 ☆幣原内閣は改正の草案を作った
 *草案の中に「天皇の統治権」を認める条文があった
 *草案を見て、マッカーサーは不快感を示す
 ☆マッカーサーは、GHQの民政局に独自の憲法草案の作成を命じた
 *「戦争放棄条頂」が、マッカーサーの念頭にあった
 *トルーマン政権の方針に基づいて民政局のメンバー25人が日本国憲法を作成する
 *アメリカの独立宣言文等から、都合のいい文章を抜き書きして草案をまとめあげた
 *メンバーの中に憲法学を修めた者は一人もいなかった
 *驚いたことに、彼らはわずか9日で、日本国憲法の草案を作った
 ☆憲法というもの本来
 *国の持つ伝統、国家観、歴史観、宗教観等の価値観が色濃く反映されたもの
 *日本国憲法には、第一条に「天皇」以外、日本らしさを感じさせる条文はない
今日まで議論の的になっている日本国憲法条項「九条」問題
 ☆「戦争放棄」として知られるこの条項は、マッカーサーの強い意向で盛り込まれた
 ☆民政局のメンバーからも、反対する声が上がったといわれる
 *こんな条項があれば、他国に攻められた時、自衛の手段がないではない
 ☆GHQはこの憲法草案を強引に日本側に押しつけ、内閣は大いに動揺した
 *草案を呑まなければ天皇の戦争責任追及に及ぶであろうことは容易に推測できた
 ☆九条は、トルーマン政権及びマッカーサーの断固とした意志
 *「戦争放棄」は、マッカーサーが民政局長に手渡したとされる指示ノートに残されている
 ☆新憲法は手続き上、大日本帝国憲法を改正する形式を取り、衆議院と貴族院で修正可決された
 ☆アメリカを含む世界四十四ヵ国が調印している「ハーグ陸戦条約」
 *「戦勝国が敗戦国の法律を変えることは許されない」と書かれている
 *GHQが日本の憲法草案を作った行為自体は、明確に国際条約違反です
極東国際軍事裁判(東京裁判)
 ☆裁判という名前が付いてはいたが、「罪刑法定主義」の大原則に反する論外なもの
 *東京裁判では、過去の日本の行為を、後から新たに国際法らしきものをでっちあげて裁いた
 *「事後法」での判決
 ☆連合国軍は、戦争犯罪人(戦犯)をA,B,Cのジャンルに分けて裁いた
 *約千人の元軍人や軍属が死刑になった
 *実際には、無実だが誤審によって死刑となった者も少なくなかった
 *Aの罪状は「平和に対する罪」というもので28人が起訴された
 (7人が死刑判決を受けた)
 ☆裁判の判事の中で国際法の専門家インドのパール判事がいた
 *パール判事は、戦勝国によって作られた事後法で裁くことは国際法に反する
 *その理由により、被告人全員の無罪を主張している
 ☆死刑判決を受けた7人の「A級戦犯」は、絞首刑で処刑された
 *この日は皇太子の誕生日であったが、この日を処刑の日に選んだ
日本兵は国外でも、悲惨な目に遭った。
 ☆東南アジアでは、約1万人の日本軍兵士が戦犯容疑で連合国軍に逮捕された
 *激しい拷間と虐待を受け、多くの者が亡くなったり自決したりした
 *彼らは戦後に処刑された戦犯リストにも入っていない
 ☆満洲では、ソ連軍が武装解除した日本軍兵士を約58万人も捕虜とした
 *厳寒のシベリアで何年も満足な食事も休養も与えずに奴隷的労働をさせた
 *約5万5千人の兵士が命を落とした
 ☆近代で、戦勝国が敗戦国の兵士にこれほど残虐な仕打ちをした例はない
 *白人種の黄色人種への差別意識
 *緒戦において日本軍に打ち破られたことへの報復に意味合いもあった
 ☆満洲や朝鮮半島にいた日本の民間人
 *現地人に財産を奪われただけでなく、虐殺、暴行、強制連行などに遭う
 *祖国の地を踏めない者も少なくなかった
 *残酷な目に遭ったのは女性たちで、現地人やソ連兵らによる度重なる強姦を受けた
 (自殺した女性が数多くいた)
 *戦後、朝鮮半島を経由して帰国した女性
 *多くが、強姦によって妊娠あるいは性病感染させられている
 ☆日本政府は、二日市保養所で、引き揚げ女性の堕胎手術や性病治療を行なった
 *二日市保養所は翌年秋に開鎖された
 *その間に、5百人以上の女性が堕胎手術を受けたといわれている
 *聞き取り調査によると、女性らを強姦して妊娠させた加害者で圧倒的に多かったのは朝鮮人であった
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出典、『日本国紀』














敗戦と占領(1)(「九条」制定経緯・シベリア捕虜・二日市保養所)
(ネットより画像引用)

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