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平成の虚無僧一路の日記

音痴は治る 2 

2019年01月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



私の子供の頃、昭和20年代、テレビはまだ無い。歌など歌う機会はめったになかった。幼稚園にはいって、歌の授業があった。手拍子を叩きながら歌を歌う。歌は手拍子を叩きながら歌うものだと思っていた。いつも上手に叩けてほめられていた。ところが、小学校にあがって1年の時、音楽の授業で歌を歌う時、私は得意になって手を叩いた。すると先生が「誰ですか!手を叩くのはやめなさい!」と。それまで親にも叱られたことのない“おりこうさん”で通してきた私は、皆の前で叱られたことに激しいショックを受けた。それから歌は全く歌えなくなったのだ。歌ったことがないから当然音痴だった。NHKラジオにクラスで出演することになった。先生は私に向かって「牧原、お前は歌わんでよろしい」と、皆の前で命じた。もう音楽が恐怖でしかなかった。私にとって音楽は「音が苦」となったのだ。音楽の成績が悪いのを心配した親は、わが家にピアノの先生を招いてピアノを習わせた。そのピアノも私にとっては苦痛でしかなかった。そんな洋楽に対するコンプレックスから、反動で尺八を始めたのだ。尺八なら、大人も吹けない。音も出せない。音が出るだけで自慢できる。優越感にひたれる。尺八は自己流で覚えたが、好きこそものの上手なれ。ピアノを習っていたことで、五線譜が読めたから、昭和40年代の現代音楽興隆の波に乗って、活躍の場はたくさんあった。というわけで、音楽音痴だった私が、今「尺八音楽」で食べさせてもらっている。音楽に才能が無かっただけに、人一倍の努力はした。だからこそ、音楽がダメな人にも、どんな練習をしたらよいか指導ができるのだ。

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