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老老介護、半年前より楽な気がします。 

2019年01月19日 外部ブログ記事
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この頃私、気分が落ち着いているなと思います。
去年の秋までは、イライラを募らせていました。
9月の日記を読み返すと、ストレスから、生まれて初めて喘息になるし、語りで一番大事なイベント夜語りも喘息を鎮めながらやり切ったし、小学校訪問と、児童館のお話会もやり切ったけれど、夫は鬱になって、抗うつ剤の副作用で救急搬送された病院からは、歩けないまま追い出されたり、めちゃくちゃな1ヶ月でした。


デイサービスにもショートステイにも行ってもらいたいのに、絶対行かないと言われて「私も病気が辛いのに、楽にしてやろうとは思わないの!」と腹をたてていました。


しかしその後白内障手術が成功して、夫が明るくなり、10月末に三週間の予定でレスパイト入院したのに、8日で帰って来ちゃったりしてからは、もうこの人はうちにずっと居続けるのねと、覚悟ができてしまいました。


それで私はもうデイサービスに行ってくれとは言わなくなりました。すると相手も落ち着いて、機嫌が良くなったわけです。
オムツになってからは、私をねぎらうようになり、「有難う」と言ったことのなかった人が、ありがとうというようになりました。口論がなくなり理不尽に罵倒されるストレスもなくなりました。
昔から、「妻が家のことを全部やって夫に奉仕するのは当たり前のことで、夫として感謝すべきことではない」と公言して憚らず、有難うなんて口が裂けても言わない人でしたが、近頃ではビールを注いでもらっても「有難う」と言います。
それだから私は昔の腹立ちをすっかり忘れて、面倒見ていられるのだと思います。憎たらしい人を世話するのはしんどかったけれど、可愛らしくなった人を世話するのは気が楽なのです。
オムツになって、仕事が増えて、体力的にはきつくなり、足腰痛くて限界だなあとは感じますが、気持ちはゆったりしているのです。オムツの世話は赤ん坊にするのと同じ感じで不思議なほど苦になりません。
この先どうなるか分からないけれど、私の気持ちがゆったり落ち着いたら、相手も落ち着いて介護しやすくなりました。
認知症の初め頃は猜疑心が出たり扱いにくかったけれど、今は私に任せる気持ちになって来つつあります。
何か失くしては他人のせいにしていた時期は過ぎ、家族を信頼して、歩けたギリギリの頃に、公証人に認知症と思われずに遺言状も作ってもらえました。目の手術が成功して、気分が明るくなったのに、オムツになって落ち込むのを笑い飛ばして、「人間生まれた時と最後の前はオムツになって当たり前なのよ」と言い「私は介護は素人ですからね、寝たきりになったら、オムツ替えられませんよ。うちに居たけりゃ、寝たきりにならないでよ」というのですが昼間から寝てしまいます。
息子に甘えすぎないでと言っても、今日は来るかと、毎日待っています。それも仕方ないでしょう。

先は分からないけど、支援があるからまあ何とかなるでしょう。


そうだ、電気圧力鍋買っちゃいましょう!


予算が乏しい事なんか無視して、無理をしてでも手に入れて、体と気持ちを楽にしましょう。

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