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平成の虚無僧一路の日記

幕末秘話「網走をドイツに売却」の秘密工作 

2019年01月15日 外部ブログ記事
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NHK/BS「発見!戊辰戦争〜幻の東北列藩・プロイセン連合」会津藩のことなら何でも知っていると自負する私でも知らなかった。今回発見された史料というのは、プロイセン(現ドイツ)の駐日公使ブラントが、本国の宰相ビスマルクに宛てた手紙。そこには、「会津藩、庄内藩が蝦夷地を売り渡す変わりに 軍事援助を求めてきた」という内容。アメリカ、イギリス、フランス、ロシアに遅れをとったドイツ(当時プロイセン)が、北海道の分捕りに食指を動かしたのだ。そこで 暗躍したのが「ヘンリー・スネル」。スネルは、会津に赴き、藩主「松平容保」から直々に「葵の紋入りの短刀」と「平松武兵衛」という日本名まで貰い、日本人女性を妻に娶り、会津に屋敷までもらっていた。そして、会津藩に ライフル銃780挺と2万ドル相当の弾薬を、売り込んでいる。だが、この銃は、新潟港に陸揚げされた時、官軍に差し押さえられ、分捕られてしまった。さて、「北海道を植民地化する話」はどうなったかというと、この進言は本国で却下された。プロイセンとフランスとの間で「普仏戦争」が勃発。プロイセンの背後にはロシアが牽制していた。ロシアは、江戸時代半ばから、度々蝦夷地に接近し、幕府に通商を求めていた。アメリカのぺりーより先だ。そのロシアがプロイセンに蝦夷地を取られたら、黙ってはいない。蝦夷地でロシアとプロイセンの戦争は必須だ。「今、ロシアを刺激してはいけない」と、ビスマルクは判断して却下したのだった。日本にとっては、まことに幸いだった。

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