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平成の虚無僧一路の日記

『青い目の人形』 

2019年01月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



『青い眼の人形』は、『赤い靴』同様、野口雨情作詞、本居長世作曲で 1921年に発表された童謡。 青い眼をしたお人形はアメリカ生れのセルロイド日本の港へついたとき一杯涙をうかべてたわたしは言葉がわからない迷ひ子になつたらなんとせうやさしい日本の嬢ちやんよ仲よく遊んでやつとくれ1927年(昭和2年)緊張高まる日米の友好の架け橋になればと、米国人宣教師のシドニー・ギューリック氏の提案で、12,739体の人形が日本に贈られてきた。仲介者は渋沢栄一であった。この人形は、全国各地の幼稚園・小学校に配られて歓迎された。その「青い目の人形」の多くは、太平洋戦争中、“敵性人形”として焼却処分されてしまったが、今323体が現存しているそうだ。童謡の『青い目の人形』は、このアメリカから贈られてきた人形のことかと思っていたら、これまた とんでもはっぷん。野口雨情作詞、本居長世作曲で発表されたのは、6年遡り、1921年のことだった。この歌がアメリカでも歌われ、それがギューリック氏の心を動かし、「日本に人形を贈ろうという提案につながったのでは」という推測もある。10年ほど前、京都、嵐山の西、清滝を旅していて、廃業となった旅館の2階ガラス窓を見ると、「青い目のフランス人形」が空ろな目で外を見つめているのにでくわして、ぎょっとしたことがあった。その後、訪ねた時はもう建物もろとも無くなっていた。

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