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中国の 冊封は属国を意味するものではない 

2018年12月25日 外部ブログ記事
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鎌倉幕府〜応仁の乱4

観応の擾乱
 ☆足利政権は誕生した時から盤石な体制ではなかった
 ☆足利尊氏を軍事面で補佐する高師直と行政面で補佐する足利直義(尊氏の弟)が権力争い
 *権力争いに敗れた直義は南朝と手を結ぶ(その後、直義は師直を殺す)
 ☆尊氏は朝廷を南朝た和議を結び、北朝の天皇を廃す
 *直義と南朝の間を裂き、南朝に直義追討の綸旨を出してもらうための策略
 ☆南朝勢力は京都に侵攻して、義詮(尊氏の嫡男)を追い払い都を占拠する
 ☆義詮は反撃に転じて南朝を再び京都から追放する
 *義詮は北朝の天皇を三種の神器なしに即位させる
 *尊氏も征夷大将軍に復帰
 ☆幕府の権力争いはその後も続く
 *直義も、尊氏との戦いに敗れ殺される
 ☆直義の残党はその後も南朝を支持し、幕府と対立し続けた
 ☆一連の争いは「観応の優乱」と呼ばれてる
 ☆室町幕府の権力基盤は脆弱で、政敵を倒すためには天皇の後ろ盾が必要だった
南北朝の統一
 ☆南北朝時代に終止符を打ったのは、足利三代将軍の義満(尊氏の孫)
 ☆義満は自分の側近を全国の守護職に就け、南朝を支持する守護大名の力を削いでいく
 ☆南朝側は、精神的支柱人物、武将が亡くなり、急速に勢力が衰える
 ☆義満の仲介で、南朝は北朝との和議を受け入れる
 *南朝の第99代天皇が退位し、北朝の後小松天皇が第100代天皇となる
 *56年続いた南北朝時代は幕を開じた 
 ☆尊氏が政権を取って約60年後、室町幕府は全国を制覇した
足利義満の野望と死
 ☆足利義満は武家の最高権力「征夷大将軍」と、公家の最高職である「左大臣」になる
 ☆義満は、征夷大将軍を息子の義持に譲り、太政大臣となる
 ☆義満は自分の妻を天皇の准母(天皇の母親格)にする
 *自らは太上天皇(上皇)となることを望む
 ☆義満の最終的な目標は次男の義嗣を天皇にすることだった
 *義嗣を皇太子にし、天皇が亡くなれば、義嗣が自動的に天皇となるようにした
 *義満が後小松天皇に退位を迫って譲位させることも可能だった
 ☆義満の計画は皇位寡奪であり、皇統を破壊する企みであった
 ☆義満は、義嗣の立太子式の6日後、発病し5日後に急死した
 *義満の死亡の原因は、毒殺されたとの見方が強い
 ☆義満には死後に太上法皇の尊号宣下がある、子の義持はそれを辞退する
倭寇と勘合貿易
 ☆中国では漢民族の王朝、明が勢力を伸ばしていた
 ☆義満は、明と貿易(日明貿易)を行ない、巨万の富を得た
 *公私の船を区別するために勘合を使い「勘合貿易」が行われた
 ☆勘合が使われた背景には「倭寇」の存在があった
 ☆倭寇は、中国や朝鮮の沿岸で略奪行為を働いた海賊
 *倭寇の意味は「日本人による侵略」です
 *対馬や壱岐等の漁民たちが、元と高麗に対する復讐のため始めたものだった
 *倭寇は、海賊行為だけでなく私貿易や密貿易を営み、一部に高麗人も交じっていた
 ☆今日の日本の歴史教科書では、中国に配慮し「元寇」という言葉を使用しない傾向にある
 *それならば、倭寇の言葉も日本の歴史教科書から削除すべきである
 ☆逆に、歴史用語を現代の感覚で言い換えたり、使用禁止にするのは間違いだ
明との貿易
 ☆明との貿易では、「君臣」関係を結び朝貢をして「冊封」を受けるのが必要でした
 *冊封は属国であることを意味するものではない
 *明は民間貿易を許さなかった
 ☆足利義満は明皇帝から「日本国王」として冊封を受けた
 ☆日本が中華王朝の冊封を受けたのは、古代を除いて初めてのこと
 ☆日明貿易は、朝貢貿易で、わずかな品物を明帝国に棒げる
 *それ以上の価値のものを受け取ることができた
 *足利幕府は巨額の利益を得た
 ☆明の冊封を受けていることは国内でも大いに問題とされた
 ☆義満の死後、跡を継いだ4代将軍・義持は貿易を中止した
冊封は属国であることを意味するものではない
 ☆中国皇帝のメンツを重んじた儀礼で、実効支配や統治とは異なる
 ☆中国共産党政府が、最近主張していること
 *古くから中国王朝に朝貢をしていたチベットなどは、「古代から一貫して中国の一部だった」
 ☆この論でいけば室町幕府も琉球も「明の一部だった」ことにされてしまう
 ☆私たちの先人が、冊封すら嫌ったということをしっかりと覚えておきたい
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本国紀』












中国の冊封は属国を意味するものではない

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