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23日はA級戦犯7名の死刑執行70年「防衛省市ヶ谷記念館」の展示は「東京裁判憲章」に相応しいものに 

2018年12月23日 外部ブログ記事
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18日に「防衛省市ヶ谷台ツアー」(午後の部)に参加した。
市ヶ谷台ツアーレポート(其の五)
東大駒場・国際シンポ「国際刑法におけるニュルンベルグ裁判と東京裁判の今日的意義」に参加した記事をアップした。
そこで語られたことは、ニュルンベルグ裁判の判事は米英仏ソの四カ国であったが、東京裁判はオーストラリア、フィリピン、インド、中国からの判事が加わったこと。
総理大臣・外務大臣だった廣田弘毅は、軍部がどの様な強い権力があったとしても「南京事件」などの蛮行を止めることが出来なかった文官としての責任を訴追され、絞首刑となったことである。
ニュルンベルグ裁判と東京裁判は、それぞれ「ニュルンベルグ憲章」と「東京憲章」として国際政治において重要な規定となっている。
パネラーの戸谷由麻さんの著作を紹介したい。
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東京裁判【新装版】第二次大戦後の法と正義の追求
THE TOKYO WAR CRIMES TRIAL
著・編訳戸谷由麻
結審から60年目の2008年は、死刑判決の下ったA級戦犯7名の死刑執行60年目でもある(12月23日)。
東京裁判は「勝者の裁き」だった。これは事実であり、私たち日本人にとっては、新たな視点の導入は容易ではない。一方、国際人道法の世界的な潮流が水嵩を増しており、東京裁判の判決は判例として、実際にその発展に貢献している。
著者はアメリカで教鞭をとる若く気鋭の研究者。司法的事件としての裁判に注目して検察局の内部資料その他を広く読み込み、ニュルンベルク裁判との比較も重視しながら、多角的な分析・再評価を可能にした。さらに、「長い戦後」を経て通念と化した神話――天皇免責はマッカーサーの決断だった、あるいは、日本軍の対アジア人戦争犯罪はまったく裁かれなかった――を解体する。
アメリカで出版した意欲作を、みずから翻訳・再編集して日本の読者に問う。
[初版2008年8月21日発行]
目次
まえがき
序章 なぜ今東京裁判か
第一章 ニュルンベルクから東京へ
第二章 裕仁天皇の起訴をめぐって
第三章 東条その他の主要戦犯容疑者
第四章 戦争史をどのように語るか
第五章 戦争犯罪に対する指導者責任
第六章 南京事件と泰緬「死」の鉄道
第七章 日本軍残虐行為の記録
第八章 初期の裁判研究家たち
第九章 パル判事の反対意見とその波紋
終章 勝者の裁きを越えて
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防衛省市ヶ谷記念館の大講堂(東京裁判法廷)にガラスケースがある。東京裁判関連の書籍が展示されているが、見学の自由時間が15分しかないので、開かれているページを読むことさえ不可である。著作権法のために撮影禁止(複写)となっているので、書籍名も判らない。
管理人の防衛大臣宛への情報開示請求で明らかになった書籍名等は次の通りである。

*パール判決書
*戦争犯罪裁判関係法令
*東京裁判(上・中・下)朝日新聞社
*極東国際軍事裁判記録(第1巻〜10巻)
*極東国際軍事裁判条例パネル
*東京裁判における通訳
*東京裁判(上・下)中公新書
*東京裁判(秘蔵写真で知る近代日本の戦歴20)
*秘録東京裁判
*続 巣鴨日記
*東條尋問録
*デイベートから見た東京裁判
*東京裁判への道(上・下)
*「東京裁判」を読む

画像提供は、「防衛省市ヶ谷記念館を考える会」共同代表春日恒男さん




(続く)

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