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兵庫県南部の島

雨の発掘報告会 

2018年12月22日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

淡路島の平野の農業地帯で少し遅れた圃場整備が行われていて、この圃場整備の中から、淡路島の統括施設の跡のような柱穴が発見されていたが、今回は昨年度の発掘現場からそんなに遠くない地域で発掘された遺跡の説明会があり、小雨が降る中での説明となった。
いつもいろいろ教えていただく方たちとお会いもでき、聴衆もかなりあった。

平安京や平城京から四国への太古の街道が付近にあったらしいが、この確認はできていない。この現場の近くにはあったと思われるが、確認ができていないと何とも言えない。

銅鐸の発掘に携わった係員がおられて、私が疑問に思っていたことも質問したが、それなりに納得できる説明をしていただけた。

反正天皇が淡路宮で生まれたと言う、淡路島の歴史家が言う説があり、生まれた時には綺麗な歯並びであり、成長してからと思うが『古事記』では、身長は9尺2寸半(約3.04m)という巨大な天皇だったと言われるが、生まれたところが淡路島の淡路の宮と言うのが歴史家の説である。 埋蔵文化の担当者はまだこの宮殿については発掘確認できていないと言う。
産宮と言われる神社があり、江戸時代に書かれた「淡路国名所図絵」にも書かれているから江戸時代当時からの施設も現存している。
私は淡路島の女性が租庸調で都に行って、天皇に見初められて、淡路島で出産して、それが天皇になったとは思われない。淡路の宮の確認はどうなっているのだろうかなぁ。



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