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平成の虚無僧一路の日記

浜松普大寺の普大寺も勤王方だった 

2018年12月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



遠州浜松にあった虚無僧寺の普大寺は明治4年廃寺となった後
小学校の分校として利用されていた。音楽の授業で使われていた
アメリカ製のオルガンが故障し、市内在住の機械器具修理職人の
山葉虎楠に修理の依頼をした。それがきっかけとなり「ヤマハ」が
誕生したのです。山葉虎楠は当初ここで手風琴を作っていました。
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岡崎には普大寺の出張所がありました。慶応元年6月、膳所藩脱藩浪人で
長州の志士として活動をしていた粟屋彦右衛門という人物が難を避けて
その出張所に逃げ込んできた。それを追って新選組の隊士8名が
京都から乗り込んてきた。粟屋はいち早く浜松の普大寺に逃れ、
青山橿山という虚無僧が新選組の厳しい追求にも臆することなく
対応をした。
そこで青山橿山は度胸を見込まれて新選組に気にスカウト
されたが、慇懃に断ったという。
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