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ソ連軍は9月1日に色丹島、4〜5日に歯舞諸島を占領。この無法に目をつぶる「二島先行返還論」 

2018年11月26日 外部ブログ記事
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『安倍晋三首相は26日午前の衆院予算委員会の集中審議で、ロシアとの北方領土交渉を含む平和条約締結交渉について「次の世代に先送りせず、私とプーチン大統領の手で必ずや終止符を打つとの強い意志を共有している」と述べ、改めて交渉進展への決意を示した。
 日露両首脳は「平和条約締結後、歯舞群島と色丹島を日本に引き渡す」とした日ソ共同宣言(1956年)を交渉の基礎に据えた。「四島一括返還から後退した」との見方があるとの質問に、首相は「領土問題を解決して、平和条約を締結する方針に一切変わりはない」と答えた。一方、ロシアに不法占拠されているとの認識かと問われると「国会でのやりとりが原因で交渉が止まったこともある」と述べ、明確な答弁を避けた。』と報じられている。
「ロシアに不法占拠されているとの認識」については、はぐらかして、無法なソ連軍の占領に目をつぶり絶対に許すことが出来ない態度である。

2016年10月14日の記事「歯舞・色丹の返還が、解散・総選挙を狙う安倍総理を有利にするお手柄なのか?軍事史から見る千島問題」を見て頂きたい。

『このようにして、日本人が「北方領土」と呼ぶ択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島のソ連による占領は、一九四五年八月二八日から九月五日までに、無血で、日本軍の目に見える抵抗もなく行われたのである。』とロシア(旧ソ連)側が認めている軍事占領である。
見落とされている重要なことは、日本軍の配置であった。
「北海道の一部」と言われている色丹島と歯舞諸島は、1945年の日本陸軍の配置は第89師団の千島守備隊地域であり、北海道の軍隊・第7師団ではなかったので、ソ連軍は南千島を侵攻する延長線上で色丹島と歯舞諸島を占領したという、軍事史から見なければならない大事な視点である。

「サハリンと千島列島での戦闘行動」図

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