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2度の世界大戦を学ばない現代人____自宅介護を覚悟しなくちゃ 

2018年11月18日 外部ブログ記事
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11月11日は、第一次世界大戦終結から100年と騒がれていました。たった100年だったのですね。その内の73年日本は宣戦布告をしていない。これってすごいことでしょう。
第一次大戦が始まったのが、1914年7月で、日本が参戦したのは途中からでした。ということは、1945年にぼろ負けする約30年前に第一次大戦を経験し、敗戦国ドイツから遼東半島や南洋の島々を分捕ったわけですね。
つまり第一次大戦では、敗戦国から土地が取れた。
ヨーロッパ戦線と違って、自国は悲惨な目に遭わなかった。外地で戦って、青島(チンタオ)や、南洋諸島を手に入れた。明治の頃には日清、日露の戦争で賠償を取ったり領土を取ったりできていた。
それで世界大戦に対する反省などはないまま、第2次世界大戦に突っ走ってしまった。
満州国を作り、中国への侵略を続け、体力もないのに米英オランダと戦って、アメリカにコテンパンにやられた。第一次大戦から数えても僅か30年の間に、いろんな戦争をして、最後に負けた。
流石に懲りて、平和憲法を作ったから73年間も平和が続いた。これってすごいことなのに、平和ボケか平和に飽き飽きしたのか、今の政権はやたら好戦的に見える。


勝った経験の、第一次世界大戦の反省は無理だろうけど、ぼろ負けした第二次大戦の反省は出来るはずだし、しなくちゃいけないと思う。


でも、焼夷弾の雨にさらされ、飢えに苦しんだ我々世代が死に絶えようとしている今。飢えたこともない戦後生まれの、楽に生きてきた人たちが、危ない考えを持ち始めている。これ、どうしたらいいのですか?
飢えと空襲の恐怖を忘れられない世代は、今の自国第一主義の蔓延に、恐怖を感じているのですが。





高齢者の急増はとうの昔にわかっていたのに、人生100年時代の到来は、予想していなかったのでしょうか?
安い老人ホームがまるで足りない事態に、国は無策すぎませんか。
自宅介護を推奨するのは、ホームに収容できないからでしょう。
テレビでサ高住の実態を見てびっくりしました。




どう考えたって、特養と同じ程度の月12万円で、認知症の世話ができるはずがない。昼間2人夜勤1人で、昼夜関係なく徘徊する人を追い掛けられるわけがない。
安月給の職員の献身でなんとかやっていても、赤字経営が続けば、倒産もありうる。
寝たきりの人だけ預かれば、採算がとれる?動き回る認知症の人は、引き受けない。
介護難民が増える一方ですね。


我が家を見れば、民間の老人ホームに入るお金はない。サ高住だって、赤字になるけど、無理すれば入れるとしても、あの現実では、安心して預かってもらえはしない。


「うちでは老人ホームは全く考えられませんから、自宅介護しかないですよ」と説明はしています。
しかし老老介護が共倒れになっては、2人とも入院するしかなくなって、それも3ヶ月ごとに移動させられたり、大変なことになるかも・・・という現実は理解してもらえません。
私が倒れちゃいけないのだから、もう少し楽させてくれないと、デイサービスさえ嫌だというのなら、負担の重すぎる炊事を一回サボるかな。
キッチンに立つと両膝痛が増してしまう。夕食で立ち働く時間が一番長い。夕飯だけ配達を頼もうか?でも様々な夕食宅配を、食べ比べてみて、全部嫌だと言われている。
コンビニ弁当なら食べられるのに、配達のは嫌だ。では毎日買いに行きますか。
三輪車で近所に行くのは大丈夫だ。私より丈夫なはずの夫に買いにいてもらう手もある。
副菜だけ作って、スーパーやコンビニに買いに走る。食材キットの配達はやめて、夕飯は買いに行く。雨の日は冷凍庫の食材でしのぐ。
自宅での老老介護が長続きするためには、こんな対策もいるのかなと、膝痛がひどくなってから考えています。
今から本気で考えないと、私が車椅子になりかねない。
家計のやりくりも今以上に必要になるし。



戦争だけはやっちゃダメです。

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