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平成の虚無僧一路の日記

虚無僧は公儀隠密? 

2018年11月15日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



中日新聞夕刊に連載されていた『遊女(ゆめ)のあと』(諸田玲子作、深井国画)で、たびたび登場してきた不審な虚無僧が名古屋城内で殺された。幕府の公儀隠密だった。虚無僧というと「公儀隠密」という説が、まことしやかに流布されているが、そのような史実は無い。隠密するには、あの虚無僧姿は目立ちすぎる。「他所者の不審者です」と公言して歩いているようなものだ。塀や石垣を越えるのに天蓋や偈箱は邪魔になる。刀はどこに隠し持っていたのか。虚無僧で隠密活動をするのは無理があるだ。一方「赤旗」の日曜版に連載されていた『くじら組』(山本一力作、西のぼる絵)は、土佐藩の鯨漁をする漁師が、沖合いを通過する黒船を目撃し、幕府に知らせるいきさつだが、それぞれの登場人物の一挙手一投足に到るまで克明に表現されて、読んでいても、その場に居合わせているかのような迫真の描写である。土佐藩にも幕府の隠密が送りこまれているが、漁師や代官の下僕となっていて、絶対に本性を表わさない。何代にも亘って、おそらく、山内一豊が土佐に入った時から送り込まれていて、すっかり土佐っぽになりきっているから、シッポを捕まえられないのだ。土佐藩も公儀隠密が入り込んでいることを承知の上で、あえて詮議したりしない。もし捕らえて処刑したら、幕府への反逆となる。うまく泳がせて、情報を幕府に送られせているのだ。そのリアリティに、感嘆する歴史小説であった。

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