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幕末最強の軍をつくった男 

2018年09月30日 外部ブログ記事
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佐賀藩主 切れ者鍋島閑叟(かんそう)
 
 ☆「肥前の妖怪」鍋島閑叟の軍事力強化
 *海防に力を注ぎ、鉄製大砲や蒸気船、電信機などを独力で製造、幕末最強の軍事力を持つ
 *その力をもって雄藩連合に付くか、幕府側に立つか、閑叟はなかなか決断を下さず
 ☆幕末、雄藩と幕府の対立の中注目を浴びた佐賀藩主・鍋島閑叟
 ☆軍事技術を開発し独力で作り上げた幕末最強の軍は、最終的に雄藩連合に付く

「肥前の妖怪」鍋島閑叟の佐賀藩での治世
 ☆佐賀城に面した佐嘉神社の鳥居のわきに、大砲が鎮座している
 *台座には「わが国最初の鉄製カノン砲」と刻まれている
 ☆神社に大砲とは、ミスマッチだが、神社に祀られているのが佐賀藩主鍋島閑叟
 ☆閑叟は、藩政改革を一気にすすめ、表高35万石を実質100万石にまで3倍増させた
 ☆西欧技術を取り入れ、大砲や銃器類、軍艦などの船舶をつぎつぎと製造する
 ☆薩摩藩はもちろん、幕府をもしのぐといわれた最強最大の陸海軍を作りあげた
閑叟は勤王、佐幕両派のどちらにもつかず
 ☆閑叟は、ドタン場まで旗幟(きし)を鮮明にしなかった
 ☆幕府・雄藩連合も気味悪がり、閑叟を「肥前の妖怪」と呼んだ
 ☆「妖怪」が動いたのは、鳥羽伏見の戦いの後「肥」が加わったのは戊辰戦争から
 ☆彰義隊に向けて、最新のアームストロング砲2門をぶっ放し、彰義隊を半日で壊滅させた
「肥前の妖怪」鍋島閑叟の人事育成
 ☆閑叟は、教育にも力を入れ、藩校・弘道館の改革に乗りだす
 ☆卒業できなかったら、役職には就かせない厳しさだった
 ☆早稲田大学の創立者・大隈重信も藩校生、閑叟の教育方針には批判的だった
 *早稲田の自由な学風は「アンチ弘道館」の発想から生まれた
 ☆弘道館からは、副島種臣や大木喬任、佐野常民ら新政府で活躍した逸材が巣立った
 ☆江藤新平は、特にキレ者で、司法卿となり、司法・警察制度の基礎を築いた
 *天皇の江戸行幸を勧め、「(江戸を)東京と相定められ」とする意見書を岩倉具視に出した
 *攘夷論を批判し、「今の強国と和親を結び(略)」と、明治期の国是である富国強兵策を唱えた
 *征韓論政変で下野した江藤に対し、政府の最高幹部・大久保利通が弾圧に乗りだす
 *キレ者嫌いだった大久保の私刑にちかかった刑により江藤は刑死した
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
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詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、NHKBS『英雄達の選択』、WIKIPEDIA
















佐賀藩主 切れ者鍋島閑叟(かんそう)
(NHKBS『英雄達の選択』テレビ画面より画像引用)

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