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平成の虚無僧一路の日記

仮名手本に隠された意味 

2018年09月02日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



赤穂浪士の吉良邸討入り事件が起きたのは、元禄15年(1702)。関が原からもう100年が経ち、戦国の気風も消え、太平の世に慣れきった時代だった。人を斬ったことの無い侍ばかりの中で、浅野内匠頭の刃傷事件と、浪士の吉良上野介討ち取りは、大変ショッキングな事件だった。これぞ、武士の鑑と庶民はもてはやしたが、それは幕府のお裁きを批判するものであったから、歌舞伎などで取り上げることはできなかったのだ。討入りの翌年には『曽我兄弟の仇討ち』にひっかけて文楽で上演されたが、幕府は三日後には差し止めにしている。文楽で『仮名手本忠臣蔵』が大阪で上演されたのは、1748年のことだった。事件から半世紀後である。それも、時代を足利幕府の時代に設定し、実名は全部変えてある。その外題『仮名手本』に隠された意味がすごい。いろはにほへ トちりぬるをわ カよたれそつね ナらむうひのお クやまけふこえ テあさきゆめみ シゑもせすんいろは47文字と、浪士47士を掛けているのはわかるが、いろは文字を7字ずつ区切り、行の最後の文字をつなげると「とが(咎)無くて死す」になるのだ。浅野内匠頭が即切腹させられたこと、主君の仇を討った忠臣たちも、全員切腹させられたことを暗に示しているという。さらに、詞章の段落の頭文字が、「いろはにほへと・・・」と順に並んでいるというのだが、これは未確認。よくもこんな言葉遊びを江戸時代の人は考えつくものと感心する。

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