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巨大古墳は国際戦略 

2018年08月29日 外部ブログ記事
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半島危機と倭の国王

 ☆大阪の巨大古墳群は、5世紀中国南朝に使節を送った「倭の五王」たちの時代に作られた
 ☆「倭の五王」は鉄で勢力拡大した鉄の王朝だった
 ☆鉄は朝鮮半島南部でしか採れず、半島では北の高句麗が南進、南の国々を圧迫していた
 ☆高句麗が半島南部まで進出すれば、倭国は戦略物資の鉄の入手が難しくなる
 ☆倭王・武は中国の王朝に上奏文を送り、高句麗を攻めるための官職授与を求めていた
 ☆半島情勢と戦略物資を巡るせめぎあいと巨大古墳建造の背景

倭の五王と天皇の位置づけ
 ☆日本の大和王権は、中国南朝の「宋」と外交関係を持ち倭国王に冊封された
 ☆中国の歴史書「宋書」倭国伝に記載されている
 *倭の五王「讃(さん)、珍(ちん)、済(せい)、興(こう)、武(ぶ)」
 *約1世紀の間、宋に使者を派遣した事が記されている
 ☆「古事記」による天皇と照らし合わせ
 (讃=仁徳or履中、珍=反正、済=允恭、興=安康、武=雄略の各天皇と推測)
 *二人の王(讃と珍)と天皇の関係は、事実であるか疑わしい
 *3人の王(済・興・武)天皇との関係は確実視されている
 ☆武の雄略天皇は、敵対する有力豪族たちを滅ぼし天皇の権力を強化させた
 ☆武の雄略天皇を最後に、宋への遣使は派遣されていない
仁徳天皇(倭の五王)
 ☆「民の竈(かまど)」の故事で知られる人物で、仁徳天皇の治世は仁政であった
 ☆古事記では「聖皇」、日本書記では「聖帝」と称され、理想的な君主とされている
 ☆仁徳天皇は、倭の五王のうち「讃」(珍とも)といわれる人物
 ☆仁徳天皇が讃であれば、五世紀初頭の天皇
 ☆仁徳天皇陵は世界最大の墓として有名
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、BSNHK『英雄達の選択』、MEMO(歴史にまとめ)






半島危機と倭の国王(ネットより画像引用)

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