メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

「西郷」どんの名前は「隆盛」ではなかった 

2018年08月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「西郷隆盛」の「隆盛」は、実は父親の名前だった。本名は「西郷吉兵衛隆永」だそうだ。幼名は小吉、通称は吉之介、善兵衛、吉兵衛、吉之助と順次変え、元服時には隆永(たかなが)、のちに武雄。それが、明治になって位階を授けられる際に、役人が 誤って父親の名前「隆盛」で届けたため、それ以後は 父の名を名乗るようになったという。さらに、西郷三助・菊池源吾・大島三右衛門、大島吉之助などの変名も名乗ったことがあった。「坂本 龍馬」も通称で、諱(いみな)は直陰(なおかげ)、または直柔(なおなり)。変名は「才谷梅太郎」「西郷伊三郎」「高坂龍次郎」「大浜涛次郎」。「取巻の抜六(とりまきのぬけろく)」なんていうのもある。「西郷伊三郎」が「坂本龍馬」とは、誰も判るまい。「木戸 孝允」と「桂 小五郎」が 同一人物であることはよく知られている。「徳川家康」も、「(幼名)竹千代」から「松平元信」、「元康、家康 、 徳川家康」と変えている。さて、かくいう私も、親がつけてくれた名前は「伸一郎」。以前は「牧原龍生」と名乗っていたこともあった。「牧(ボク)原(はら)龍(たつ)生(ぜい)」。つまり「僕、腹立つぜい」。「若気のいたり」で、因習的閉鎖的な邦楽界に牙を向けていた。今は「腹を立てず」と誓って、「龍生」をやめ「一路」と改めた。かつて邦楽評論家に「藤田伶朗」という人がいた。これは尺八の音名の「レーロー」を「竹号」にしたもの。一人で「邦楽雑誌」を編集出版しており、「小山宗介(おやまそうかい)」「有賀泰寧(ありがたいねぇ)」など、いろいろな名前で、いくつも記事を載せていた。みな一人の人物だったのだ。ペンネームにもそんなユーモアがほしいですね。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ