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平成の虚無僧一路の日記

会津の「御式内」伝承者 

2018年08月26日 外部ブログ記事
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会津藩には、藩主はじめ重臣、小姓たちが修める「御式内」という護身術があったそうな。正式な記録にはありません。手の内を知られないように、極秘に伝えられたとか。筆頭家老の「西郷家」がその伝承者であり、その養子となった「西郷四郎」に「御式内」を継承させようとしていたのではないかという説も。しかし「四郎」は、嘉納治五郎の「柔術」から「柔道」に目覚め、「講道館の四天王」と呼ばれるまでになり、合気術とは一線を画しました。西郷四郎という後継者を失った会津「御式内」は、西郷頼母から、会津のお抱え力士の家に生まれた「武田惣角」に、「大東流柔術」として伝えられたとか。この「武田惣角」の弟子が「植芝盛平」であり、植芝の弟子が「富木謙治」。今日、合気道と名乗る各流派は、この三名のいずれかを始祖と仰いでいるのです。すなわち、会津のお家芸「御式内」こそは、今日の合気道の源流であるそうな。「植芝盛平」の映像はYou-Tubeでも見られます。1935年の白黒フィルム映像ですが、5尺の小柄な老人が、次々と襲い掛かる壮年をバッタバッタなぎ倒す。すごい技です。「植芝盛平」は、和歌山県田辺市の生れ。1915年(大正4年)31歳の時、所用で訪れた遠軽の旅館で、大東流の「武田惣角」に出会い、その技に衝撃を受け、その場で入門、宿泊を一月延長し、指導を受けた。「武田惣角」は当時すでに54歳・身長150cmに満たない小柄な体ながら、豪腕の「植芝」を多彩な極め技で捻じ伏せたという。「植芝盛平」は、翌 1916年(大正5年)33歳。田辺市白滝に道場を設けて、武田惣角を招き、村の有志十数人と共に 熱心に学び、「秘伝奥儀」の免許を授かったとされます。そう、実は「西郷頼母」も5尺(150cm)に満たない小柄でした。『八重の桜』では西田敏行が演じてくれました。恰幅良すぎ。

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