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「殉国」と「平和」と「公共性」に揺れる靖国神社 

2018年08月23日 外部ブログ記事
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>宮澤佳廣『靖国神社が消える日』(小学館 2017年)の影響が大きいかったし、宮司交代にもつながりました。<と、東海林(とうかいりん)次男さん(東京都歴史教育者協議会会長)からメールを頂いた。この書籍は読んでいなかったので早速購入した。



「終章 靖国が靖国でなくなる日」から216〜217頁
(略)『 ところが今では靖国がどのように変容しょうとも、さほどクレームがつくこともなく、靖国神社はいたって平穏のさなかにあります。それが靖国神社に対する無条件の絶対的信頼なのか、それとも靖国は一宗教法人なのだから口をはさむ余地はない、「どうぞ好き勝手におやりなさい」といった無関心の表れなのか。私にはどちらなのかはわかりません。
 しかし、いずれであるにせよ、それは靖国神社が国民の意識から遠ざかり、あるいは遠ざけられていることの証しなのではないでしょうか。近年、私が思い悩んでいたことはそこにあります。こうした状態のまま、やがて靖国神社から「靖国の公共性」が失われるとき、それこそ私にとっての「靖国が靖国でなくなる日」が到来することになるのです。
 そしてそれは、先人たちが思い描いてきた靖国神社が、現実の世界から消えてなくなる日でもあるのです。』

『創立150年周年「殉国」と「平和」の間に揺れる靖国神社』と昨年8月17日にアップしたが、「殉国」と「平和」に「公共性」もプラスしたいと思う。

400回以上の靖国神社・遊就館ツアーガイドをしてきたので撮影画像が沢山あるが、そのアルバムの中から画像をアップして、10年前の画像と昨年の画像を比較すると、神社の意向が垣間見ることが出来るのではないだろうか。

日本遺族会の会員減少や高齢化による日本傷痍軍人会と各戦友会の解散によって靖国神社本殿昇殿参拝者が減少している最中に、創立150年を来年迎えなくてはならない。
正月三が日の初詣参拝客30万人を、明治神宮300万人のように増やし、安産祈願、初宮参り、七五三祝、結婚式など「普通の神社」のようにしていかなくてはならいと神社は考えていると思われる。はとバスとタイアップ、大鳥居のライトアップなど観光客の増加も考えているのだろう。
軍刀を腰に下げ、三八式歩兵銃を担ぎ、進軍喇叭を吹き鳴らす「軍服姿」を見た一般の方々は、軍国主義礼賛の「戦争神社」だと思われてしまうだろう。

『靖国神社を戦争神社、遊就館を戦争ミュージアムと呼ぶことが、ご祭神に対していかに無礼であるかわかって戴きたいものです。』前徳川康久宮司が神社本庁の「月刊若木」に特別寄稿(「靖国神社が消える日」159頁)

このMさんは、管理人より年齢が下で新宿区内の自宅から毎日自転車に乗って来ていた。普段は、外苑休憩所前の燈篭(華族会館献納)付近で軍服姿の若者たちと交流していた。昨年8月15日に会ったときは、杖をついて燈篭の台座に腰を掛けていた。今年の8月15日は、富国徴兵保険献納大灯籠の前で椅子に座って多くのカメラマンに囲まれていた。



2009年8月15日



2017年8月15日


2008年8月15日日露戦争時代の将軍風出で立ちの老人。




昨年8月15日は富国徴兵保険献納大灯籠の前で椅子に座って携帯で電話していたが、今年は見かけなかった。



2008年8月15日神門の中で能楽堂の前




2009年8月15日神門の中で能楽堂の前


2009年8月15日拝殿前。政府主催戦歿者追悼式の武道館から12時の時報に合わせて黙祷。










2010年8月15日拝殿前














2017年8月15日拝殿前






2005年2月11日遊就館旧正面玄関前で


2006年10月18日遊就館旧正面玄関前で


(了)

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