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平成の虚無僧一路の日記

なぜ今「白虎隊」? 

2018年08月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



1986年 日本テレビ・年末時代劇『白虎隊』は、まこと秀逸でした。堀内孝雄の『愛しき日々』の歌詞「かたくなまでもまっすぐな道、おろかものと笑いますか」が、会津人の無念を代弁してくれ、涙を禁じえませんでした。それにくらべ、2007年にテレビ朝日で放送された『白虎隊』は、サンザンでした。脚本が「内館牧子」。この頃から「右翼団体」や「ネット右翼」が 台頭してきており、右傾化の片棒を担ぐような取り上げ方でした。「白虎隊」は、戦前、“忠君愛国”の思想教育に利用され、「特攻隊」で多くの若い命が失われたことを思うと、私としては、「白虎隊」を「国に殉じた少年達」として美化することには抵抗を感じます。そもそも、「白虎隊」は、士中一番隊 49名、二番隊 42名、寄合一番隊 106名、二番隊 67名、足軽隊 79名から成り、合計343名もいたのです。そのうち、戸の口ケ原に出陣したのは、士中一番隊二番隊の42名。飯盛山で自刃したのは 20名。蘇生した「飯沼貞吉」の口述によれば、彼等は、山中を逃げ迷って、本隊とはぐれたのであって、残り半数は、きちんと城に戻っているのです。自刃した19人が、あまりにも賛美されたために、私の先祖も含めて、生き残った者は「卑怯者」のそしりをおそれ、会津を離れ、「白虎隊士」であったことを隠して、ひっそりと生きざるを得なかったのです。吉良邸への討ち入りに参加しなかった赤穂浪士と同じ。生き残った者にも“悲劇”があったことを、私は、いつか書き残したいと思っています。会津藩家老の「西郷頼母」の母、妻、娘たち、さらに親戚の者まで、女 子供21人が自決したことも、白虎隊同様、「女の鑑(かがみ)」という取り上げ方をされてきました。もう、そんな捉え方は 時代錯誤です。

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