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平成の虚無僧一路の日記

戦争体験を聞く 

2018年08月16日 外部ブログ記事
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8/15朝起き会の演談で、林さんの体験を聞いて絶句。
「父親はソ連に抑留され、母は幼い三人の子を連れて満州から
ハルピンまで逃避行。そして力尽き、母も妹も弟も死んでしまった。
一人残された私は9歳。親切なおじさんに連れられて、日本に
引き上げ、名古屋の親戚の家まで送り届けてもらった」と。
そして戦後も悲惨な生活。聞くに堪えない。
もう一人の林さんは、「豊田の郊外に疎開していた時のこと。
B29が撃墜され、搭乗していた米兵が落下傘で降下。現場に
駆けつけてみると、村人たちが竹槍でもって襲い、皆殺しにした」と。
この事件はNHKでドラマにもなった。『最後の戦犯』。戦後、
上官の命令で殺害した兵隊が捕虜虐殺で戦犯に問われた話。
今朝の中日新聞でも取り上げている。S45年4月7日のこと。
B29が守山区瀬古に墜落。落下傘で降下した米兵が手を挙げて
投降してきたが、村人たちが竹槍や農具で殴り殺したと。
?
毎朝ラジオ体操でご一緒するO氏は、NHK『15歳の志願兵』の
当事者だった。
旧制愛知一中(現旭丘)の全校生徒700人が、教師の叱咤激励に
奮い立ち、全員が特攻隊に志願した。愛知一中は現在の旭丘高校。東大医学部進学率No.1を誇るエリート校。
当時も親たちは「末は博士か大臣か」と子に期待していた。
それが「特攻に行く」と言い出したのだから、親たちは困惑した。
朝日新聞も「愛知一中の快挙。皆も続け」と煽った。この記事を見たのが、
愛知一中の卒業生「成瀬謙治」。愛知一中の校長あてに手紙を送った。
「全校生徒が予科練志願は無意味だ。生徒の能力に応じた道に
進ませることが、本当に国に報いることである。死ぬのは自分一人で
たくさん」と書き残して、特攻魚雷回天で散華した。
この勇気ある手紙に 親たちは胸をなでおろし、大半が誓約書を
取り下げた。でも14名が特攻隊に志願し、5人が死んだ。
大野さんは、大阪の陸軍幼年学校に入る。幼年学校は「特攻の候補生」
と教えられる。そして終戦。8月15日。「米軍が上陸してきたら、
お前たちは真っ先に殺されるから」と、即 解散となり名古屋に帰された。
大阪から名古屋までの汽車は、海軍さんの引き揚げ者で満杯。
海軍は缶詰などの食料をたくさん持っていたので うらやましかった。
帰宅しても、名古屋市街は焼け野原。母親は奇跡的に助かり、
稲沢の実家に身を寄せていた。そこへ行って安堵したら、数日後、
「即、大阪に戻れ」との電報。また大阪に行き、学校の残務整理を
させられた。
昨日は、戦時の生々しい体験談に耳を傾け、厳粛に終戦記念日を迎えた。

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