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平成の虚無僧一路の日記

広島原爆は予告されていた 4 

2018年07月29日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「広島も長崎も、原爆投下の日時は予告されており、軍の首脳部は知っていた」という。原爆投下の前日に「(西部方面)第二総軍」の幹部クラスの会合が行われていた。畑俊六総司令官以下、若松只一、岡崎精三郎の両参謀、太宰博邦特高警察課長、さらに、高野源進広島県知事といった最上級幹部クラスは生き残っているのだ。高野知事は、前夜遅くまで畑俊六司令官と酒を飲み交わしておりながら、翌朝8時15分の原爆投下の時間には なんと福山に居た。昼間の空襲を避けて、夜に移動する情勢下にあったとはいえ、なぜ福山に行ったのか、用件ははっきりしていない。原爆投下の後、10時間かけて広島に帰り、即「復興対策本部」を立ち上げている。畑司令官自身、原爆の破壊力のすごさは把握できていなかったであろうが、とりあえず、何人かの人には危険を知らせたのではないか、というのだ。前日の会合に集まったメンバーの中で、畑俊六に楯突いた粟屋広島市長は 家族とともに爆死している。畑総司令官が知っていたというのは、天皇とアメリカとの間に秘密の通信があり、天皇の承知のもとに、広島・長崎への原爆投下が行われたのだという。そして、「終戦後の天皇の地位保障」を条件に、アメリカの 原爆投下を受諾した。

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