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知名度低いが”戦国最強”の武将・水野勝成 

2018年07月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



武将水野勝成は徳川家康のいとこ

 ☆最後の最後まで「戦国の武士」だった水野勝成
 (87歳で、約36m離れた的を鉄砲で撃ち抜いた)
 (「鬼」と称された勝成の強さ、存在感は別格)
 ☆15年間も全国を放浪し、さまざまな大名のもとを渡り歩いた人物
 ☆天下太平の時代には、10万石の大名として領内の治政に力を発揮した
 ☆福山藩(広島県福山市)の初代藩主として歴史に名を残す

水野勝成が大名たちに重宝された理由
 ☆織田信長にも認められたほどの強者の武将
 ☆気性が激しく、荒くれ者たちが多かった戦国時代のなかでも異彩を放つ
水野勝成の逸話
 ☆16歳のとき、高天神城攻めで15の首級をあげた
 (主君だった信長から戦巧者として永楽銭の旗印をもらう)
 ☆19歳のとき、甲州黒駒合戦で北条軍の首級300をあげる
 ☆21歳のとき、父親の家来を殺し勘当される
 ☆偽名を使って、名だたる武将へ仕官し大活躍する
 (佐々成政、黒田長政、小西行長、加藤清正等)
 ☆36歳で父親が暗殺され実家に帰って家督を継ぐ
 ☆関ヶ原の戦いで徳川家康に呼ばれて参戦
 (大坂の陣では軍監(軍の最高責任者)に任命される)
 ☆大坂夏の陣では、軍の責任者なのに先陣に立って戦う
 (大坂城に一番乗り)
徳川家が天下統一後、福山藩を与えられる
 ☆一国一城の主となる
 ☆猛将として最前線で戦うような勝成の治世、最後は名君として領民から愛される
 (庶民から「名君」と慕われた)
 ☆島原の乱では、幕府からの要請で最高責任者として活躍する
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、学研パブリッシング、歴史秘話ヒストリア、WIKIPEDIA




武将水野勝成は徳川家康のいとこ(歴史秘話ヒストリアより画像引用)

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