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平成の虚無僧一路の日記

名古屋都ホテルも「村野藤吾」だった。 

2018年06月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



名古屋には「村野藤吾」の作品が少ない。それゆえ、「村野藤吾」の名を知る人も少ないのはザンネン。代表建築は「名古屋都ホテル」だったが、2000年(平成12年)3月に営業を終了し、取り壊されてしまった。開業は、高度成長期の走り、新幹線が開通する前年の1963年(昭和38年)。私は平成5年に名古屋に来た。グリーンのタイルの外壁、アルミ枠の窓、縦横の接点にすべてアールをつけたディテールで、ひと目で「村野藤吾」の作品とわかった。翌年に知り合った「鈴花」が、ここで結婚式を行ったと聞いて、縁を感じた。それからよく ここで “お茶”した。バブルがはじけて経済が低迷する中、駅前にはツインタワービルに「ホテル・アソシエ」がはいり、その他、次々とホテルが林立して、都ホテルは閉鎖に追い込まれた。取り壊された時は、まさに「断腸の思い」だった。名古屋駅からホテルに通じる地下道は「みやこ地下街」と名づけられ、その名称は今でも残っている。「みやこ地下街」を通るたびに 「都ホテル」の面影を忍ぶ。

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