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都は風水で決めらた(1) 

2018年06月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



10年で放棄された長岡京は「怨霊」逃れだった?

転々と遷都が行われる背景に風水が?
 ☆政治の中心が豪族から天皇へと転換した時期、政務は天皇の宮殿で行われていた
 ☆天皇が替わるとその拠点も替わり、政務を執る都も近畿地方を転々とした
 ☆皇室の内乱(壬申の乱)後に即位した天武天皇
 (政治の中心である都を固定するための都市計画実施した)
 ☆天武天皇の皇后持統天皇の治世下で、完成した日本最古の都城が藤原京
 ☆奈良県橿原市に造られた藤原京は、中国の都を模している
 (宮殿から南に延びるメインストリート)
 (朱雀大路を中心に、碁盤の目状に整備された条坊制)
 ☆土地の選び方にも中国の思想「風水」の考え方が取り入れられました
中国の風水思想には、王都選定の基準が明示されている
 ☆「座北朝南」「負陰抱陽」「四獣相応する土地」「天心十字の法」に適った土地
 ☆藤原京、平城京、長岡京、平安京の王城は、この風水に適った条件を探した結果です
 ☆天皇家は、風水を信じて都を転々と変え、京都の地で最適な場所にたどり着いた
 (現在でも家を建てる際に風水を気にする人は多くいます)
四獣(神)相応
 ☆東:青龍(豊かな川の流れがある)
 ☆西:自虎(大きな道があり交通の便が良い)
 ☆南:朱雀(広大な平野や海があり視界が開けている)
 ☆北:玄武(山や丘陵がある)
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『手にとるように宗教がわかる本』




10年で放棄された長岡京は「怨霊」逃れだった?
(『手にとるように宗教がわかる本』記事より画像引用)

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