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平成の虚無僧一路の日記

幸徳秋水と管野スガ 

2018年06月29日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



大杉栄と伊藤野枝が殺害されたのは、大正12年(1923)。その12年前の明治44年(1911)、幸徳秋水と管野須賀子が殺されている。今から100年前のことだ。この2組のカップルの罪状は、無政府主義、社会主義、女性解放、自由恋愛。そんなことで死罪になる異様な時代だった。幸徳秋水らの直接の罪状は「天皇暗殺謀議」だが、オウムのように、真剣に計画実行しようとしていたわけではない。しかし、それを口実に、社会主義者たちが根絶やしにされたのだった。大杉栄と伊藤野枝の関係と同じく、幸徳秋水と管野須賀子の男女関係もすさまじい。伊藤野枝が夫「辻 潤」を捨てて大杉のもとに走ったように、管野須賀子は、夫「荒畑寒村」が獄中にいる間に、離縁状を送りつけて幸徳秋水のもとへ走った。大杉には妻と愛人がいたように、幸徳秋水にも妻千代子がいた。秋水は妻と離婚して須賀子と同棲する。大杉は愛人「神近市子」に刺されるが、幸徳秋水と須賀子は、荒畑寒村に命を狙われた。このような一連の「不倫スキャンダル」は、世間の好奇と揶揄、指弾の的になる。須賀子の前半生の男遍歴は「淫婦、姦婦」と中傷されるほどすさまじい。須賀子の夫だった「荒畑寒村」は、昭和56年(1981)に 93歳で没した。瀬戸内寂聴は「寒村」にも会って取材している。

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