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平成の虚無僧一路の日記

辻潤と大杉栄 

2018年06月29日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



伊藤野枝の最初の夫が「辻 潤」で、後の夫が「大杉栄」。野枝は「辻 潤」の最初の女で、「大杉栄」の最後の女となった。野枝に愛された二人の男、「辻」と「大杉」には 共通するものがあるという。(以下は「辻潤の餓死」というサイトより転写)辻潤の出生は 明治17年10月4日であり、大杉栄はその3ヶ月後の明治18年1月17日に生まれている。大杉は 新発田(しばた)中学を2年で中退。辻潤も開成中学を2年で中退している。内村鑑三の影響を受けクリスチャンになり、そしてキリスト教を棄ててから「平民新聞」の読者になる点も同じで、二人はまるで双生児のようによく似たコースを歩んでいる。以後の辻は ダダイストになり、大杉はアナーキストになって、相反する方向に進んだように見える。しかし、ダダイストもアナーキストも、「日本的順応主義に反旗を翻している」という点では同じなのである。大杉栄は、日本的順応主義の根っこには奴隷根性があるという。辻潤も「凡そダダイストにとっては、この世に許され得ない言語行動などというものは一つとして存在し得ないのである」と述べて、世のモラルや秩序を公然と「無視」した。だから辻潤にも危険思想の持ち主だとして警察の尾行がついた。「不服従」のための表現法は異なるけれども、権力に屈服しなかった点で両者は共通している。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私の心の中にも「反社会的」「不服従」の「反骨精神」はある。「虚無僧」もそんなパフォーマンスの一つ。「虚無僧」は 社会のアウトサイダーだったのだから。大杉栄の言う「日本人の奴隷根性」には私も同感だ。明治維新以来の欧米崇拝。そして戦後は 正にアメリカの属国。日本人、大和民族は「平和主義」などと平和ボケしているが、『魏志倭人伝』に書かれた「倭(わ)」の文字は「人に委ねる」。「倭奴(いと)国」を、素直に読めば、「奴隷の国」なのだ。

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