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平成の虚無僧一路の日記

婦人解放運動の魁「伊藤野枝」 

2018年06月29日 外部ブログ記事
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伊藤野枝(1895年− 1923年)は、福岡から上京して、上野高等女学校に入学。英語教師だった辻潤に惚れこみ、卒業と同時に辻潤の押しかけ女房となった。故郷には親が決めた婚約者がおり、辻は 野枝との結婚で女学校の教師を辞めることになった。辻との間に二人の子を設けたが、その後、辻を捨てて 大杉栄に近づいた。大杉には妻と愛人がいたが、その二人を押しのけて、5人の子を設けている。野枝は 世間の批判をものともせず、不倫を公言し、結婚制度を否定した。そして「平塚らいてう」の女性文学集団「青鞜社」を引き継ぎ、与謝野晶子・岡本かの子らとも親交を深め、婦人解放運動の先鋒となった。だが、大杉栄とともに「危険思想」とみなされ、関東大震災後の混乱の中、憲兵に連れ去られ、拷問を受けて撲殺された。28歳だった。首謀者は「甘粕大尉」という。上京して わずか10年の間に、 時代を100年先取りした激しく情熱的な生き方を貫いたことに 驚く。

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