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トラのミステリな日常
法事
2018年06月26日
テーマ:テーマ無し
伯父の葬儀では、親戚中の人が、久しぶりに顔をそろえました。
母の実家は、京都府の南部にあります。
母が言うには、
「私の家は、戦争中でも食べ物に困らなかった」と言う事です。ほぼ自給自足が出来ているし、茶畑があり、山の中の柿や栗やマツタケを採っては、大阪市内や京都市内へ売りに行ったと言っていました。
肉は、イノシシがよく捕れたそうで、子どもの頃は私も良くいただきました。
本家の長の葬儀だと言うことで、私の従兄弟たちとその子どもたちが勢揃いしました。
従兄弟とは、この数年、法事などで年に何度も顔を合わしていますが、その子どもたちとは、生まれてすぐ、お祝いに行って顔を見て以来です。
その子どもたちが、もう大学生や高校生になっています。
お互いに自己紹介をしましたので、顔は浮かんできますが、名前はさっぱり覚えていません(笑)
でも、亡き伯父の兄弟姉妹で、列席したのは、私の母だけになってしまいました。
ところで・・・
昭和27年〜28年にかけて、今回亡くなった(長男の)伯父と(長女の)伯母に子どもが出来、少し遅れた28年の12月に私が生まれました。
同年代に3人の男の子が出来たこともあって、私たちは幼い頃からよく本家に集まり、祖父母や伯父伯母たちに可愛がっていただいたものです。
伯父の子どもは、「京都の坊」、伯母の子どもは、「奈良の坊や」、私は「大阪のボク」と呼ばれました。
いつしか、「坊」と言えば京都の、「坊や」と言えば奈良の、「ボク」と言えば私です。
私が5歳ぐらいの頃に、私の父方の叔父が、
「ウチは貧乏な借家住まいなので、名前で呼んで欲しい」と言ったそうで、それ以来、私だけはみんなから「Kちゃん」と呼ばれています。
ちなみに、私より年下の従兄弟達は、(いまでも)みんなから名前の呼び捨てです。
お通夜が終わり、みんなで飲み食いをしながら、仲の良い3人で、それぞれの近況を話していました。
「それで、Kちゃんは今何をしているの?」
「坊は年金をいくら貰っているの?」
「坊やのおばちゃんは元気なの?」
集まっている大人達や、60歳を過ぎたじじいが、「坊」、「坊や」、「Kちゃん」と呼び合っているのを横で聞いている子ども達は、目を白黒させています(笑)
60歳も過ぎているのに、「坊」や「坊や」は確かに不自然ですが、みんなが寄るとそう呼び合ってしまいます。
私は今でも、「Kちゃん」と呼ばれていますが、「ボク」で無くって良かったとふと思ってしまいました。
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