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イスラム教の3つの聖地(1) 

2018年05月26日 外部ブログ記事
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マディーナ(メディナ)を皮切りにアラブ民族がなだれを打て入信

妻や近親者、友人の理解を得たムハンは布教を開始
 ☆ムハマンドの布教(アッラーの命令)
 ☆神の命令(今の世の中は間違っている、ムハマンドは神の言葉に従い人々を導け)
 ☆布教は最初から弾圧との戦いでした
 (マッカの人々の信仰は多神教で唯一絶対神のイスラム教とは相容れない)
 ☆ムハンマドのグループは弾圧されエチオピアに避難する
 ☆「神の言葉」は思うように広まらない
 ☆ムハマンドにヤスリブの民から招待がある
西暦622年=イスラム暦元年
 ☆ムハマンドは、マッカからヤスリブの町に移住(イスラム教では聖遷と呼ぶ)
 ☆ヤスリブに到着した日、7月16日が「ヒジュラ暦(イスラム圏の暦)」の紀元となる
 ☆イスラム教団は新天地・ヤスリプで大きく成長した
 ☆ヤスリブはマディーナ(メディナ=光り輝く町)と改称されイスラムの聖地となる
イスラム教は、政治から生活レベルまで密着した
 ☆アラビア半島の情勢は、それぞれの血族が守り神を崇めていました
 ☆貨幣経済が浸透するにつれて、利害関係も複雑になっていました
 ☆アツラーヘの信仰で団結したイスラム教団は、アラブ社会では斬新な組織でした
 ☆規律正しい教団は、部族間の調停役として、アラブ社会をまとめることに成功
 ☆ムハンマドはウンマと呼ばれる「共同体」を構築する
 ☆政治と宗教が一致するレベルを超え、宗教と生活が一致した
 ☆ウンマに参加すれば身の安全も保証されるので、アラブの民が部族単位で入信した
 ☆その間もアツラーは、イスラム教信者の行動規範を細かく指示し続ける
 ☆イスラム教の原型はこの時にできあがった
マッカはイスラム教の第一の聖地となる
 ☆マッカの部族はイスラム教の勃興に危機感をもつ
 ☆ムハンマド征討軍を派遣(ムハマンドは、先住民族やユダヤ人とも協調体制を築いた)
 ☆ムハンマドは、軍隊をも率いて故郷マッカの軍勢と数度にわたって戦いマッカを「解放」する
 ☆マッカのカアバ神殿に赴いたムハンマドは、多神教の象徴である360体の偶像をすべて破壊
 ☆アラビア半島を統一し、イスラム教はさらなる膨張を続けます
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『手にとるように宗教がわかる本』


マディーナ(メディナ)を皮切りにアラブ民族がなだれを打て入信
(『手にとるように宗教がわかる本』記事より画像引用)

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